小和田@Free Planets retweeted
というわけで、こんこんとかざぐもふもふしましょう。泊まったホテルの一部屋で、いつものキャミソールとは異なる感じ、狐耳と狐尻尾は…どうやら直に生えてそうな風雲くんです。
「えっ?かわいい狐さん? もう~提督…♡恥ずかしいったら」
というわけで、こんこんとかざぐもふもふしましょう。泊まったホテルの一部屋で、いつものキャミソールとは異なる感じ、狐耳と狐尻尾は…どうやら直に生えてそうな風雲くんです。
「えっ?かわいい狐さん? もう~提督…♡恥ずかしいったら」
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情けない、ポルノ男優やってた位なんでもないだろう
すぐ近くの国で元チンコピアノ芸人が大統領として立派にロシアと闘っているではないか。
スウェーデン・ヨックモック市長が、理由非公開で突然のクビ。
メディアが調べたところ、過去にポルノ男優やってたのが市の内部調査で発覚したからと判明。市長の任期中に新作も出たとか。(※撮影は任期前)
タブーかもしれないが合法の経歴でクビになったことに元市長は納得していないが、市議会は「ヨックモック市は軍事的な要衝で、ポルノ男優という経歴がロシアの脅迫に利用される安全保障上のリスクがあるから」と説明。
aftonbladet.se/nyheter/a/lKB…
元市長は「身バレて広く報道されたんだからセキュリティリスクもへったくれもねーだろ」と納得いかず。
ロシアも変なとこで道徳的な制裁の言い訳に利用されてるなあ。
小和田@Free Planets retweeted
装甲巡洋艦ゲオルギオス・アヴェロフ(Georgios Averof / Θ/Κ Γεώργιος Αβέρωφ)
ギリシャの人々からは親しみを込めて「戦艦(θωρηκτό)」と呼ばれることが多いけれど、艦種としては実際には装甲巡洋艦(θωρακισμένο καταδρομικό)なんだ。
世界で唯一現存し、しかも今なおギリシャ海軍の現役艦艇として籍を置く装甲巡洋艦でもある。
海軍総参謀長の旗艦・本部艦艇というだけでなく、まさにギリシャ海軍そのものを象徴する存在と言っても過言じゃない。
彼女世界でも極めて珍しい「万国共通のごった煮(混成)」軍艦なんだよ。
アヴェロフは近代造船史上、最も奇妙で興味深い国際合弁プロダクトとも言える。
・船体の設計と建造はイタリア
・エンジンとボイラーはフランスから調達
・電装系システムはドイツ製を搭載
・主砲などの武装はイギリス製
・そして代金を支払ったのはギリシャの大富豪で、操舵したのはギリシャ人!
特に船体に関して言えば、ゲオルギオス・アヴェロフは元々イタリアのオルランド造船所がイタリア海軍向けに建造していたピサ級巡洋艦の3番艦だったんだ。
だけどイタリア政府が予算不足でキャンセル。そこへ当時オスマン帝国と熾烈な軍備拡張競争を繰り広げていたギリシャが速攻で買い取りに名乗りを上げた。
イタリア側が値引きしてくれたとはいえ、それでもギリシャ政府は高額な残金を払えなかった。幸運だったのは、当時のギリシャの大富豪であり慈善家だったゲオルギオス・アヴェロフ(George Averoff)が遺言で全財産の3分の1(約30万ポンド)を海軍の購入資金として寄付していたこと。おかげで無事に購入でき、艦名も彼の名にちなんで命名されたんだ。
第一事バルカン戦争(1912〜1913年)の「エリの海戦」(1912年12月)、オスマン帝国艦隊がダーダネルス海峡からの突破を試みた際、パヴロス・クンドゥリオティス(Pavlos Kountouriotis)海軍少将率いるアヴェロフが出撃。少将は他のギリシャ旧式戦艦の12ノットという遅さに痺れを切らした(アヴェロフは22ノットの高速を誇っていた)。
そして全艦隊に向けて「本艦は独立行動をとる。全速力で前進し、運命を神に委ねる」という信号旗を掲げたんだ。
その後、アヴェロフは味方艦を遥か後方に置き去りにし、単艦でトルコ艦隊の陣形へと突入。圧倒的な火力で「T字戦法」を放ち、トルコ旗艦を大破させた(T字有利きたあああ!!!)。こうしてオスマン艦隊全体をダーダネルス海峡の中へと押し戻したんだ。
続いて「レムノスの海戦」(1913年1月)、負けを認められないトルコ艦隊が再び突破を試みるも、クンドゥリオティス少將はまたしても同じ手を打ち出す。
アヴェロフは再び圧倒的な速度を生かしてトルコ艦隊を猛追。撤退するトルコ軍艦に壊滅的な打撃を与えた。
この二つの海戦によって、オスマン海軍は完全に海峽内に永久封印され、二度と出撃できなくなった。ギリシャ海軍はエーゲ海の制海権を完全に掌握し、バルカン半島へ向かうトルコ軍の前線補給線を遮断。これがバルカン同盟の陸上での勝利に直接貢献することになった。
この二大海戦で、アヴェロフはトルコ人から畏怖を込めて「Şeytan papor(悪魔の船)」という異名で呼ばれるようになった。
更值得一提的她也是少數橫跨了兩次世界大戰的裝甲巡洋艦さらに特筆すべきは、彼女が二つの世界大戦を生き抜いた数少ない装甲巡洋艦であることだ。
第一次世界大戦中、彼女は主に連合国の東地中海パトロールを担当。1919年の一戦勝利後、勝利国の旗艦としてコンスタンティノープルに入港。500年以上ぶりにボスポラス海峡へギリシャ国旗を翻させ、現地のギリシャ系住民を狂喜乱舞させた。その後は連合国によるロシア内戦干渉作戦にも参加している。
1941年、第二次世界大戦が勃発しドイツ軍がギリシャへ侵攻(ギリシャの戦い)。ギリシャ政府は国の象徴であるこの艦が空爆で破壊されるのを恐れ、アヴェロフの自沈命令を下した。しかし乗組員たちは集団で命令を拒否。従軍司祭が
「自沈するくらいなら戦死を選ぶ!」
と叫び、乗組員たちは強行エンジンを始動。ドイツ軍爆撃機の猛攻を掻い潜って見事に脱出し、エジプトのアレクサンドリアへ逃れてイギリス軍に合流したんだ。
第二次大戦中、アヴェロフはすでに車齢(艦齢)30年を超す老兵だったが、それでもインド洋で連合国の護衛任務に就き、果ては大西洋にまで足を伸ばした。
1944年、大戦末期に彼女は亡命政府を乗せて、解放された光栄あるアテネへと帰還を果たした。
1952年にアヴェロフは正式退役。1984年からは浮き海軍博物館としてアテネのパライオ・ファリロ(Palaio Faliro)で一般公開されている。
退役こそしたものの、ギリシャ海軍は彼女を一度も艦籍から除籍していない。名義上、ゲオルギオス・アヴェロフは今なおギリシャ海軍の現役旗艦(名誉旗艦)であり、毎日欠かさず艦旗の掲揚・降下式が行われ、入港して彼女の横を通過する全てのギリシャ海軍艦艇と水兵は敬礼を捧げなければならない。
激動の時代を通じて、数々の激しい海戦やドイツ・イタリア空軍の狂乱の空爆を経験し、幾度となく絶体絶命の危機に瀕しながらも、奇跡的に軽微な擦り傷程度で済み、一度も重大な被害や死傷者を出さなかった。ギリシャの水兵たちは「この船には海の守護聖人ニコラウスの加護がある」と固く信じ、愛着を込めて彼女を“Lucky Uncle George(幸運なアヴェロフおじさん)”と呼んだんだ。
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駆逐艦アドリアス(Adrias / ΒΠ Αδρίας / L67)は、第二次世界大戦におけるギリシャ海軍で最も名高く、海の神の加護を受けし駆逐艦である。
ギリシャ軍艦の最も根幹をなす伝統において、聖ニコラウスは船乗りたちの「総守護神」とされる。
すべてのギリシャ軍艦の就役時、艦長室や指揮艦橋の壁面中央には必ず極めて精緻な聖ニコラウスのイコン(聖像画)が奉納される。乗組員たちは戦闘前にこの聖像へ祈りを捧げるのだ。毎年12月6日の「聖ニコラウスの祝日」はギリシャ海軍最大の祝祭日であり、全国の海軍基地や艦艇で厳かな宗教・軍事式典が執り行われる。
アドリアスの前身は、イギリス海軍のハント級タイプIII護衛駆逐艦「ボーダー(HMS Border)」。後に亡命中のギリシャ海軍へと移管された。
1941年にギリシャが陥落すると、海軍の残存戦力はエジプトへ逃れた。対独戦力を補強するため、イギリスは1942年に竣工したばかりの「ボーダー」をギリシャ海軍へ引き渡し、アドリア海(Adriatic Sea)にちなんで「アドリアス(Adrias)」と再命名した。
本艦を指揮したのは、ギリシャ海軍史上の伝説人物ヨアニス・トゥンバス(Ioannis Toumbas)中佐。彼の指揮のもと、亡命水夫たちで構成されたこの艦は、わずか1ヶ月余りの訓練期間で非常に高い戦闘力を発揮するようになる。
1939年11月にドイツがUボートによる無制限潜水艦作戦を開始した後、1943年1月、就役初期のアドリアスは地中海での護衛作戦中、キプロス沖でドイツ海軍の潜水艦と遭遇した。
トゥンバス艦長は猛烈な対潜攻撃を敢行し、ドイツ海軍の潜水艦U-559を撃沈(一説には大破させ、同艦からのエニグマ暗号機関連の機密書類奪取を支援したとも言われるが真偽は不明)。
その後、1943年2月13日の同作戦において、アドリアスはさらに潜水艦U-623を撃沈した(※U-623の最後の定期連絡は1943年2月9日)。
1943年7月のシチリア島上陸作戦中、イタリア本土攻略の鍵を握るこの重要な戦いにおいて、アドリアスは護衛艦隊の中核として数百艘の盟軍上陸用舟艇をシチリアへとエスコートした。作戦中、ドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)の急降下爆撃機による幾重もの攻撃を退け、多数の落水した連合軍兵士を救助した。
1943年9月、イタリアが降伏を宣言し、イタリア海軍主力艦隊は連合軍の港へ出航するよう命じられた。アドリアスは連合軍代表として、投降するイタリア艦隊を自ら先導・護送してマルタ港に入港させた。イタリアの侵略を受けたギリシャ人にとって、これは絶大な国家的栄誉であった。
1943年10月22日夜21時56分、アドリアスはイギリス駆逐艦ハーワース(HMS Hurworth)とともにエーゲ海のカリムノス島(Kalymnos)近海で作戦中、不運にもドイツ軍の機雷に接触。凄まじい大爆発によって主砲塔より前方の艦首部分が完全に吹き飛んだ。この爆発で乗組員21名が即死、30名が負傷し、艦内には浸水が激増、電力も遮断された。
隣にいたハーワースは救援のため即座に駆け付けたものの、自らも触雷してさらに深刻なダメージを受け、わずか15分で船体が二つに折れて沈没した。アドリアスは自身が壊滅的な損害を被っていたにもかかわらず、ハーワースの生存者(艦長を含む)を救助・収容したのだった。
艦体の3分の1を失ったアドリアスはもはや保たないと誰もが考えた。イギリス海軍部ですら除籍の準備を進めていたほどである。しかしトゥンバス艦長は退艦を拒否。後進(面舵・面舵いっぱいの逆推進)をかけ、水密隔壁だけで波を押し切りながら前進するよう命じた。艦橋の聖ニコラウスのイコンが無傷で残っていたことも、乗組員たちに凄まじい精神的支えを与えたという。
艦首が吹き飛んだ際、艦内で唯一の海図や航法用計器類はすべて艦橋前方にあったため、艦首とともにエーゲ海へとおちていった。そのためトゥンバス艦長と乗組員たちは、己の記憶、腕時計、そして乗組員のポケットに入っていた子供用の簡易世界地図帳だけを頼りにトルコ海岸の方向を割り出し、ついに中立国トルコのギュムシュリュク(Gümüşlük)湾へ入港して数週間の緊急補強作業を行った。
応急修理の後、12月1日にアレクサンドリアへ向けて出航。全長730海里(約1,350km)におよぶ航程のうち、実に300海里が占領下ギリシャに駐屯するナ粹空軍ユンカース Ju 88爆撃機の行動圏内であった。機動性が著しく制限された状態でありながら、彼女は夜間航行に頼ることを余儀なくされたのである。
そしてついに12月6日——まさに船乗りの守護神・聖ニコラウスの祝日当日、アレクサンドリア港への帰還を果たした。イギリス艦隊をはじめとする盟軍艦艇から大歓声で迎えられ、王立ギリシャ海軍および地中海全域の盟軍の士気を絶大に高めた。
ドイツの占領からギリシャが解放されると、仮設艦首を取り付けたアドリアスはギリシャ艦隊の残存艦艇とともにファリロ(Faliro)へと帰還した。
地中海での戦闘がすでに終息していたため、完全な修復を受けることはなく、そのままイギリスへ向けて出航して皇家海軍へ返還され、間もなく解体された。
当時ギリシャ海軍で運用されていた同型艦には以下が含まれる:
・二代目アドリアス(D06 / 旧イギリス海軍タナサイド HMS Tanatside。初代の代替としてギリシャ海軍に貸与)
・ヘイスティングス(旧1946年貸与のキャトリック HMS Catterick)
・カナリス(建造時ハザレイ HMS Hatherleigh)
・ミアウリス(建造時モドバリー HMS Modbury)
・ピンドス(建造時ボールブルック HMS Bolebroke)
特筆すべきは、アドリアスを率いて奇跡を起こしたトゥンバス中佐である。1944年10月のギリシャ解放後、彼は艦隊参謀長および駆逐艦戦隊司令官を務め、サラミス海軍基地司令へと着任した。
その後順調に昇進を重ね、1950年にエーゲ海海軍司令官、1952〜1953年には艦隊司令長官を歴任。1953年に海軍中将の階級をもって退役した。
ギリシャ海軍の軍艦は、戦死・自沈・退役した友艦の名を継承していく伝統を非常に大切にしている。ギリシャの水兵にとって「名とイコン(聖像)が存在し続ける限り、その艦の魂が死ぬことはない」のだ。それゆえ、初代アドリアスが解体された後も、その名を受け継ぐ艦が次々と誕生した。
第二代アドリアス(1945〜1965)は、アメリカから貸与された駆逐艦である。
そして現世代となる第三代アドリアス(ペナントナンバー F459)は、ギリシャ海軍の現役主力フリゲートであるエリ級フリゲート(Elli-class frigate)であり、今なお大海原でギリシャを守り続けている。


























