そういえば今年まだ一度も台本貸出(観劇サポートとして)断られてないな
少し前までは断られることも珍しくなかったし、OKでも無茶苦茶な条件付けられたりしてたから
今でも依頼の時はビビり散らかしながらメールしてるので、「是非来てください!」と言ってもらえることはそれだけで本当に嬉しいよ
あの密度の中でのオープニングの殺陣も凄かったし、物語世界と過去と現在を行来する複雑な構成を、アート館の舞台構造を最大に活かしてほぼ暗転なしで描いていくテンポの良さも心地いい。
劇伴は舞台上で生演奏。もちろん私は聞こえないんだが、奏者の放つ熱量が伝わってそれも良かったな。 #馬琴のて
このところ立て続けに馬琴の話を観たり読んだりする機会があったのだけど、馬琴の書いた物語と同じかそれ以上に馬琴という人物とそこに生きた人々の生き様が、二百年近く経っても私達を魅了するんだろうなあと。
そんなことを改めて思わせてくれた舞台でした。 #馬琴のて
「食事中に帽子を脱がないのは非常識」の話。
その人が帽子を被っている理由は他人には分からないし、その場所(今回は店)でそれがマナー違反かどうかを判断できるのはせいぜいそこの店主か同行者くらいなものだと思う。それ以外の他人がその理由を知る必要も権利もない。
『演技の質を守りたい。
観客の想像力を守りたい。
ところで、私がずっと想定していた、その「観客」って、いったい誰だったんだろう』
これが聞こえない私が演劇に関わる方々に一番気付いてほしいこと。
「観に来てください!」と言われるその中に自分は含まれていない。こんなに悲しいことはない。
すみだ五彩の芸術祭『ケアと演技』、無事に終演しました!今回の作品のハイライトは、開演が始まる前の30分間でした。
「アクセシビリティ上演、マジで恐怖してたのに、やってみたら超ハマってしまった話」
note.com/hydroblast_asia/n/n…
手話は視覚言語なので、音声言語と違う便利さがあるのは否定しない。
でも、手話を第一言語とする人達が、母国に住んでいても大半の人に第一言語が通じない、通訳の利用は目的によって制限される、自分の言語で学んだり働いたりほぼできない状況を知っても「手話って便利!」と無邪気に言えますか?
たとえば授業で「キックベースやります、ルール分からない子は知ってる子に聞いて」と言われて「ルール分からないから教えて」と聞くと、「バントなし、振り逃げなし」とか言われたりするんよ、そんなレベルの話してねえし授業なら教師がちゃんと教えろよ
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体育の授業で不思議なこと。
仮にウェイト10kg上げられない人がいきなり100kg上げようとしたら、体育教師100人中100人が叱ると思うんですよ
なのに10キロ上げられないレベルで基礎体力がない子供に、スポーツバリバリやってる子供と同じこと一律でやらせて、できないのを叱ってるの、おかしくない?
そんな、「日本海でクラゲが大量発生しています」みたいに言われても
【県内では電車内でのチカン被害が多発】
県内では、電車内で女性が狙われるチカン被害が多発しています。被害に遭わないために、≪混雑している車両を避ける・車両のドア付近に立たない・友人と一緒に乗ったり、他の女性の近くに乗る・女性専用車両を利用する≫などしてください。(続く)#埼玉県警
多様性を認めるってことは、それぞれが少しずつの「認め合うための努力」をすることだと思う。
初めて見る自分とは違う存在、習慣、慣れていないものを奇異に感じるのは自然な反応だ。だからこそ、その違いを知り、受け入れるには少しの努力が必要になる。それが多様性を受け入れるということ。
互いの「違い」を知らないが故に起こる悲しいすれ違い、誤解、目の前の個人ではなく「障害」という記号だけを見ている人の、的外れな気遣い。
そういった全てを、日常の一部として淡々と写し取っていく。
そのリアルさは、障害は違えど自分が経験してきたことと重なり、途中、苦しくなることもあった。











