大門弘樹 (@hdymon) header
大門弘樹 (@hdymon) profile picture

株式会社セブンデイズウォー代表取締役。日本クイズ協会理事。クイズ専門誌『QUIZ JAPAN』編集長、クイズ専門店「クイズルームソーダライト」店長、コナミのクイズゲーム『クイズマジックアカデミー』シリーズの問題作成・監修、クイズ特番『ノックアウト~競技クイズ日本一決定戦~』企画・監修などなど。

東京都
Joined April 2010
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『アメリカ横断ウルトラクイズ』奇跡の大復活を受け、クイズ専門誌「QUIZ JAPAN」編集長が、『ウルトラクイズ』がいかに桁違いの番組だったかを、関係者の証言などを元に毎日コラム形式で書いています(番組公式でありませんので、その点はご理解ください)
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バブリーだった1980年代後半から1990年代初頭にかけてのテレビ業界が、バブル崩壊のあおりを受けて1993~1994年頃から緊縮路線に舵を切ったことが、視聴者参加クイズ番組の氷河期を招いたという話をポストしてきました。「視聴者参加クイズ番組の歴史・平成編」、今回は氷河期に突入した1995年以降のお話です。 視聴者参加クイズ番組自体が激減する中、1995年にテレビ朝日で放送を開始したのが『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!』です。番組が考案した様々な競技やゲームに、応募をしてきた視聴者が挑戦し、クリアしたら100万円の賞金が授与されるという単純明快な内容で、玩具化された「電流イライラ棒」や、特番として独立した「小学生クラス対抗30人31脚」などが特に人気でした。 「ゲームがクリアできるかどうか」という目線で見る番組という意味では、現在の「鬼レンチャン」のルーツのような番組でもあります。 実施される競技はクイズとは関係ないものがほとんどでしたが、しばしば「○○100問 連続正解できたら100万円」というクイズ企画がありました。「そのジャンルに詳しいマニアを集めて競わせる」という『カルトQ』的な要素に「連続正解」というひねりを加えたことで、うまくゴールデンに落とし込んでいました。 実は私も大学時代(1998年)に「SUPERアニメ100問」という企画に出場し、73問まで残り、名前入りで紹介されたことがありました。ちなみに同じ回に、当時大学生の「元祖アキバ系女王」桃井はるこさんが出場していました。 ハガキで応募したら、電話がかかってきて、電話越しにいくつか質問されて、あっという間に出場決定。かつての『風雲!たけし城』のように、老若男女、誰でも応募して出場できたので、本当にテレビらしい夢のある番組でした。 一方、同じく賞金100万円を謳いながらも「ワケあり」の人しか出場できない番組として1994年に放送を開始したのが、TBSの『クイズ悪魔のささやき』でした。この番組は、お金が必要な出場者が「どうしてお金が必要なのか」を訴えて、200人の観客に支持を求めるという、かなりセンシティブな内容でした。 『炎のチャレンジャー』は賞金が目当てであっても「動機」は必要ではないという点で、古き良き視聴者参加番組の流れを受け継いでいましたが、この『クイズ悪魔のささやき』あたりから、「動機」が必要とされ、その「動機」を説明するために、テレビでプライバシーをさらけ出すことが求められるようになっていきます。2000年にスタートした『クイズ$ミリオネア』でも「お金が必要」という理由がマストとなり、極端な言い方をすると、クイズ番組の出場者が「お金を無心する乞食」のように演出されて、私は好きではありませんでした。この時期の演出は、今ならコンプラやSNSの炎上で一発アウトでしょうね。 こうした「素人がお金のためにプレゼンする」というフォーマットは、2001年に『マネーの虎』という伝説の番組を生み出しますので、そういうものが求められていた時代だったのでしょう。 そんなムードの時代に、長らく公正取引委員会の規制により100万円が上限とされていた賞金の金額が変わりました。1996年4月に、景品表示法の規制緩和により、1000万円にまで引き上げられたのです(ただし、民放の業界団体である民放連の自主規制により、参加者1人あたりの賞金の最高額を200万円とされた) では、「最高賞金1000万円」を謳った最初の視聴者参加クイズ番組は何だったでしょうか。それは当然『クイズ$ミリオネア』ですよね? 残念、不正解です。 正解は、1996年4月からテレビ東京で放送された『決戦!クイズの帝王』です。司会は辰巳琢郎さんとラサール石井さんで、金曜21時台に1時間番組として放送された視聴者参加クイズ番組でした。 残念ながら私は当時、京都在住でしたので、テレビ東京系列が映らず、『決戦!クイズの帝王』は未視聴です。 まとめると、「お金への執着」が出場の可否の判断材料にされる、私からすると下品な時代になっていき、そんな中で『炎のチャレンジャー』はタイトルに「これができたら100万円!!」と謳っているにもかかわらず、「賞金の使い道」は全く選考基準とされず、誰もが参加できる、夢のような視聴者参加番組でした。 『炎のチャレンジャー』は、令和の今でも大人気になるのではないでしょうか。2026年1月に一度特番で復活しましたが、レギュラー化を心待ちにしております。
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こちらのご意見、私も同じことを思っていましたので引用リポストさせていただきました。 おっしゃる通り、『ウルトラクイズ』は宗教儀式なんですよ。福本伸行の漫画のような、人外の能力が求められます。
Replying to @hdymon
「運だけでアメリカ本土上陸」といった方もいる一方で、「ボルティモアへ」の長戸さんや稲川さんのエピソードの様に、「運をたぐり寄せる能力のある人」は実在すると思います。初めてウルトラ予選に参加してみて、これは単なる知識勝負ではなく、運命の女神に選んでもらう儀式なのだな、と感じました。
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\本日スタート!挑戦者、集まれ!/ KARADAWEEKに「どろんこクイズ」が登場! 東京ドームシティで、ウルトラクイズの世界を体感してみませんか? ご家族やご友人とのお出かけに、ぜひお立ち寄りください! 会場でお待ちしております! 日時:2026年11月6日(金)~8日(日) 場所:東京ドームシティ・セントラルパーク 参加費:無料
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今回は「視聴者参加クイズ番組の歴史」を「知識と運」という視点で見ていきたいと思います。 古来、クイズの世界には「運もクイズの重要な要素である」と考える一派と、「運を極力排除したクイズこそガチである」と考える一派に分かれていました。出場する側ももちろんのこと、番組制作側にもこのイデオロギーがありました。 『アップダウンクイズ』や『クイズグランプリ』は知識で勝つ王道の番組。それに対し『アメリカ横断ウルトラクイズ』は、それらを「偏差値偏重の番組」と捉え、「アンチテーゼとして制作した」と初代審査委員長・佐藤孝吉さんは語っています。「偏差値偏重へのアンチテーゼ」としての「時の運」というわけです。 1980年代に「偏差値へのアンチテーゼ」であり「壮大なジョーク」だった『ウルトラクイズ』が大人気となり、『ウルトラクイズ』が仮想敵とした「知識を問う視聴者参加クイズ番組」は次々と駆逐されていきました。しかし、1989年に誕生した『史上最強のクイズ王決定戦』は、そのさらなる揺り戻しを起こしました。 『史上最強』がエポックメイキングだったのは、それまでの「浅く広く」のクイズから「深さ」を競わせるクイズに変えたこと。これは、それまでテレビでは凄さを伝えきれていなかった「知る人ぞ知る存在」だった「水津康夫さんありき」の番組でした。 この『史上最強』を起点とするクイズ王ブームを、当時のクイズ王番組の熱心な視聴者だったコラムニストのナンシー関は、その著書の中で『「難しすぎるものは御法度」というセオリーをあえて破った「超難問クイズブーム」』と位置づけています。『ウルトラクイズ』に駆逐された「知識を問う視聴者参加クイズ番組」の最強形態として、『史上最強』は『ウルトラクイズ』に挑戦状を叩きつけます。 例えば、運がないと勝ち残れない『ウルトラクイズ』(と『FNSクイズ王』)が毎回異なる優勝者を生んでいたのとは正反対に、運を極力排除した『史上最強』ではクイズ界で一目置かれた実力者が王座を独占しました。 ナンシー関は、さらに『史上最強』をこのように評しています。 「後発の『FNS』を見て『TBS(『史上最強』)』に出ているクイズ王のほうが強いことが明らかに分った。視聴者の中に『史上最強』のクイズ王の強さが刻み込まれ、尺度として機能するようになった結果、多くの視聴者が「自分は分らなかったけど、西村なら二秒で答えるぜ」という感想を持ったはずだ」 この「『史上最強』こそが頂点である」という感想は、私も含め当時の視聴者の肌感覚に近かったと思います。 ただ、本当に『史上最強』こそが頂点であったのか。そこには私は若干の違和感を覚えます。なぜなら、各クイズ王番組で出題される問題傾向はいずれも毛色が異なっており、「アカデミックな問題に重心が置かれた『史上最強』の王者は、あくまで『史上最強』の問題傾向の王者だった」という見方が成り立つからです。 『史上最強』にはトレンド的な時事問題は決して多くはありませんでした。あえて雑に言えば、『FNSクイズ王』のようなバラエティに寄った問題傾向であれば、また結果は大きく変わっていたであろうということです。この点は強調しておきます。 とは言いつつも、私は『史上最強』と『カルトQ』に脳を焼かれた人間なので、クイズには「深さ(難度)」を求めます。ただ、この「深さを問うクイズ」は、メジャーであるべきテレビのセオリーとは逆を行くマニアックなクイズの世界なので、本質的にはテレビには不向きです。例えば同時期の『マジカル頭脳パワー!!』は、「お茶の間の誰もが考えられる、間口の広いクイズ」のパイを取って大ヒットしました。 『史上最強』『カルトQ』などによる「超難問ブーム」と、『ウルトラクイズ』も含む「クイズ王番組」は、バブル崩壊による制作予算の圧迫のあおりを受け、約5年で終焉を迎えました。ここから視聴者参加クイズ番組の受難の時代、長い長い「氷河期」が到来します。 『ウルトラクイズ』が1998年の『今世紀最後』をもって放送されなくなったことで、「クイズに運が必要かどうか」という論争は形骸化しました。そもそも「運を発揮する場所」そのものがなくなってしまったからです。 では、もう一方の「運を極力排除したガチのクイズ」はどこへ行ったのか。これが「競技クイズ」です。 ガチクイズの沼にハマった世代が、アンダーグラウンドとなったクイズの世界で「氷河期」時代のクイズを支えていきます。『史上最強』『カルトQ』系統の「超難問クイズ」一派は「前振りクイズ」や「長文クイズ」として、「ポロロッカ」的な早押しクイズの技術を追及する一派は「短文クイズ」として、それぞれ別系統の進化(ガラパゴス的進化)をとげていきます。 「競技クイズ」は人によって定義があやふやですが、私はこうした「テレビの外で生まれたガチクイズ」の総称として使っています。前述したように「競技クイズ」には「短文」「長文難問」など種目がいくつかありますが、例えば代表格である『abc』は、「短文早押しクイズの速さを競う世界こそがクイズの面白さである」という哲学に基づいて設計されています。 山登りに例えると、アカデミックな知識を競うクイズも、特定ジャンルの深さを問うクイズも、早押しクイズの速さを競うクイズも、いずれもクイズという広大なフィールドの「別々の場所にそびえる高峰」であり、頂点をめざして登るアタッカーの凄み自体がショーとなります。 この「深さ」や「速さ」を競う競技クイズを、テレビ側が「再発見」したのが、日本テレビの『高校生クイズ』でした。仕掛け人は『マジカル頭脳パワー』の企画・総合演出として知られる五味一男さん。お茶の間の誰もが楽しめるクイズ番組で一世を風靡した五味さんが、「天才たちのクイズの戦いがショーになる」と導き出されたというのも興味深いです。この「知力の甲子園」と呼ばれたこの5年間の路線(2008年〜2012年)は、『高校生クイズ』の視聴率をV字回復させることに成功します。 しかし一方で、『高校生クイズ』といえば『ウルトラクイズ』の弟分として生まれ、『ウルトラクイズ』の精神であった「知力・体力・時の運」を骨格にしていた番組です。当然ながら、それまでの時の運やチームワークといった要素を楽しみにしていた層との間で分断を生み、この是非を問う論争は現在に至るまで続いています。いうなれば、「運もクイズの重要な要素である」一派と「運を極力排除したクイズこそガチである」一派の論争まで復活させたのです。 こうした論争まで含めて、「知力の甲子園」は実質的に「世代が代替わりしたクイズ王番組の再来」であり、この時期の『高校生クイズ』の洗礼を受けた世代(伊沢世代)によって「QuizKnock」が創設される流れになります。まさに「新たな時代の種」が撒かれた番組でした。 ちなみに、この「知力の甲子園」路線は「知力の最高峰を決める戦い」というベクトルもさることながら、「学歴」と悪魔合体した点も要注目です。もともとは「偏差値偏重へのアンチテーゼ」として生まれたはずが、巡り巡って「学歴」をプッシュする番組に行きついたわけですが、この「クイズと学歴の関係」は長くなりそうなので、また別の機会に書いてみたいと思います。 さらにこの「伊沢世代のクイズ王番組」は、上位互換となる『頭脳王』(2011年~)へと究極進化していきます。 よく『史上最強』や『頭脳王』のような高峰登山タイプのガチクイズ番組を否定する人のポストを見かけますが、それはその人がターゲットとしてハマらなかったのかもしれませんし、そもそもターゲットにされていなかったのかもしれません。 クイズ番組には元来、「お茶の間も参加できる敷居の低いもの」と、「お茶の間をあっけに取らせるビックリショー」の2系統があり、設計思想が真逆なのですから、逆を求める立場から観ればそうなりますよね。なにしろ「アンチテーゼ」で作られてきたわけですから。もちろん我々視聴者が感想をつぶやくのは自由ですし、それぞれ好みがあって当然です。 一番望ましいのは、テレビというお茶の間に接続したメディアで、様々なバリエーションのクイズ番組が展開されることでしょう。「好みにあった番組が放送されている」というのが一番。ロスジェネとしては、自分が観たい(できれば出たい)番組がない「氷河期」だけはご免こうむりたいです。 そういう点でも、長らく途絶えていた「運がないと勝ち残れない番組」の本家本元として、『アメリカ横断ウルトラクイズ』が28年の沈黙を破って復活するというのは、「クイズの面白さ」の歴史において、また大きなターニングポイントとなる気がします。
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金曜日と日曜日はソーダライトで「ランクマッチRound11」を4回、金曜日の夜は「アニソンイントロフリープレイ(ビギナークラス)」を担当します。 いずれも予約人数少なめなので、たくさん押していただけそうです。お時間ある方はぜひ! #ソーダライト nitter.gq/sodalite_Qroom/status/…
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本日は再び「視聴者参加クイズ番組の歴史・平成編」に戻ります。バブリーだった1990年代初頭のお祭りムードから一転、再び「冬の時代」、それも超大型の氷河期に突入した1994年頃のお話です。 暗雲が立ち込めたのは、『アメリカ横断ウルトラクイズ』の中止が報じられた1993年の初夏。「第17回の準備がすでにスタートしている中での中止だった」という当時のスタッフの方による一次情報もあり、現場は相当バタバタだったのではないかと推測されます。 1993年は夏に『ウルトラクイズ』がない中、TBSの『史上最強』(すでに『ギミア・ぶれいく』はなく『THEプレゼンター』枠でした)とフジテレビの『FNSクイズ王』は通常通りの全国予選が開催されました。しかし、明けて1994年は両番組とも全国予選を廃止。奇しくもどちらも10名程度の常連参加者をスタジオに招いての企画となりました。 しかし、この1994年春の『史上最強のクイズ王決定戦/全国選抜サバイバルマッチ』と『FNS1億2500万人のクイズ王決定戦/最後のクイズ王伝説』の放送をもって、「クイズ王番組」は実質的に消滅しました。『史上最強』は1年後の1995年に『LIVE』という生放送特番として放送されますが、これも状況の打破には至らず。フジテレビも同年、『鉄人クイズ』というテレビマンユニオン制作の特番を放送するも、こちらも全く話題にならず。いずれも、混乱期の「迷走」が、視聴者である私にも感じられる作りになっていました。 1995年4月に大学に入学した私が見た当時クイズ界は、まさに「焼け野原」といった状況でした。クイズ研究会が活動の柱としていたテレビ番組が『アタック25』を残して、ほぼ全て消滅したわけです。『ウルトラクイズ』目当てで在籍していた会員が姿を消し、『ウルトラクイズ』を模倣していた学園祭のクイズ大会も開催されなくなり、残った会員たちはクイズをやる意味や目標を自問自答せざるを得なくなります。私は自分も含めたこの世代を「ウルトラクイズ・ロストジェネレーション」と命名しましたが、まさにこの世代は「就職氷河期」とも重なり、戦後の日本に置いて「最も冷遇された世代」になってしまったのは間違いないでしょう。 私はこの謎を、「QUIZ JAPAN」第7号で『FNSクイズ王』の仕掛け人・森英昭さんにぶつけました。 ――第7回をもって全国で予選を行うスタイルをやめられたのは、なぜでしょうか? 森 一言でいうと、予算。 ――予算ですか……。 森 番組にかけられる予算に上限ができて、「次はここまでしか出せない」と。で、その金額では、全国予選はできなかった。『クイズ王』って、予選にお金をかけて全国から幅広く出場者を集めてくるじゃないですか。大事なのは、その全国予選の模様を映す、冒頭の15分なんですよ。冒頭の15分で引っ張り込んで見てもらう番組なんです。ところが、全国予選がなくなると、その15分が撮れなくなってしまう。そうなると、それなりの視聴率が獲れなくなってしまうな、と思ったのでやめたんです。 ――『FNS』が終了したのは、そういう理由でしたか……。 森 ほかのクイズ番組のように紙の予選を毎回別々のところでやって、人を集めるような感じでやるなら、その予算でもできたんです。でも、それだと今までやってたスケール感とかインパクトがなくなってしまう。それはツラいな、って。今だったらネットを使ったりとか、いろいろやりようはあるんだろうけど、その頃はまだ、そこまでではなかったんで。 ――外野からは「『FNS』が終わったのは、出場する素人の個性がなくなったからだ」とか、好き勝手な声もあがっていたのですが……。 森 個性みたいなものは演出でどうにでもなるんですよ。それこそ、仕掛けをして編集してあげればいいだけのことであって。だって極端な話、実際の本人とテレビに映っている本人とでは、違うわけじゃない。でも、決して嘘ではないんですよ。だって、どんな人でもスポットライトを浴びたら、それなりのヒーローになるわけだから。 これが真相でした。1994年頃の混乱には「予算の削減」という背景があったのです。森さんは全国予選ができた時代の『FNSクイズ王』について「当時はフジテレビも上場してなかったし、今と違って予算もあったので、いい時代だった」と回想されていました。 全国各地に予選会場を設け、その会場に衛星回線で音声による同時出題を行い、さらにその模様を撮影するテレビクルーが張り付く。さらに、予選通過者100名を東京のフジテレビに招く交通費と宿泊費も膨大です。これらの予算が『最後のクイズ王伝説』ではがっつり削られ、「12名をスタジオに招待する」というこじんまりとした番組にならざるを得なかった、ということだったのです。 同じことが『史上最強』にもいえました。全国複数個所の会場にトラックで大きなセットを運び込む全国予選は、全国ツアーを行うロックバンドのライブ並の手間と費用がかかっていたはずです。ライブはチケットで元を取れますが、『史上最強』はハガキ1枚で参加できるテレビの企画であり、全てテレビ局の「持ち出し」です。そして50名の予選通過者を東京に招く「あご・あし・まくら(食事代・交通費・宿泊費)」、さらに会場は幕張メッセと、とんでもない額の予算がかかっていたことは想像に難くありません。 今年、28年ぶりに復活した『ウルトラクイズ』の会場が東京ドームではないことにSNSでは議論を巻き起こしましたが、この予選会場や予選の開催自体にかかる費用こそが、実は1993~1994年の「クイズ王番組」の規模縮小、そして番組自体の終了の引き金だったのです。 「これまでのような予算が出せない」とは、つまりバブル崩壊による景気悪化が現場を直撃していたことに他なりません。また、森さんがおっしゃったように、フジテレビは1997年に上場しました。この時期から、テレビ局はどこもコストパフォーマンスを重視する時代に突入していきます。予算カットの波は、クイズ番組の優勝賞金の金額などの形で可視化されるため、次第に台所事情が厳しくなっていることは視聴者や出演者にも容易に想像できました。 景気悪化が現場を直撃したであろうと推測される番組がもう1つあります。1993年に放送を終了した『100万円クイズハンター』です。この番組は、タイアップ企業から提供された賞品をクイズで奪い合うというのが根幹です。番組終了の理由は取材できていませんので推測になってしまいますが、こうした賞品の確保が厳しくなっていったことが原因の1つになったのではないでしょうか。 まとめると、1994年頃の「クイズ番組冬の時代」到来は、バブル崩壊の直撃による予算カットによって引き起こされた「氷河期」でした。活躍の場を失ったクイズマニアたちは、生き残りをかけて「オープン大会」に活動の拠点を移し、テレビとは異なるカルチャーへと枝分かれしていきます。今につながる大きなパラダイムシフトが起こったのがこの頃でした。 しかし、そんな不景気な時代においても、「視聴者参加番組」の火が消えることはありませんでした。逆境の中、視聴者参加型で大人気となる新たな番組が1995年に誕生します。それがテレビ朝日の『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!』でした。次回はこの『炎のチャレンジャー』を深堀りしたいと思います。
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『ウルトラクイズ』の赤字(予算超過)が許されなくなっていく流れは、こちらのポストにまとめてます nitter.gq/hdymon/status/20971820…
日本テレビの社長に就任した氏家齊一郎さんが「3億円もの赤字を出す番組など必要ない」と『アメリカ横断ウルトラクイズ』の打ち切りを決めたという記事を紹介したところ、かなりの反響がありました。コラムをいったんお休みするつもりだったのですが、1本だけ書いてしまいました。『ウルトラクイズ』の「赤字」の話です。 『アメリカ横断ウルトラクイズ』は「大きな赤字だった」と語られることが多い番組です。実際に「最も製作費がかかったクイズ番組」としてギネス世界記録にも認定されています。これも不思議に思いませんか? なぜ『ウルトラクイズ』は赤字を出しながら作れたのか? そもそも、テレビ番組における「赤字」とは何なのか? 今回はその謎について迫ってみたいと思います。 テレビにおける制作費とは、あらかじめ「この予算の中で作れ」と会社から決められるお金のことを指します。その制作費(予算)の管理をする役職が「プロデューサー」です。よく「プロデューサー」と「ディレクター」を混同している人を見かけますが、「お金の管理やテレビ局としての判断をする責任者」がプロデューサーで、「現場を任されてクオリティに魂をかける監督」がディレクター(演出)です。 『ウルトラクイズ』の予算を取り仕切っていたのは、以前のポストでもご紹介した、『木曜スペシャル』のチーフプロデューサー・石川一彦さんでした。 かつての「ウルトラクイズ」が放送されていたのは、『木曜スペシャル』という枠でした。週替わりで様々なテーマの特番を放送していたゴールデンタイムの番組で、この枠からは「初代引田天功の大脱出シリーズ」「矢追純一UFOシリーズ」「Mr.マリック超魔術シリーズ」など、一世を風靡する番組が多数生まれました。ユリ・ゲラーが生放送中にスプーンを曲げて、超能力ブームが巻き起こったのもこの番組でした。 平均視聴率20%以上、中には35%を超える番組もある、日本テレビが誇るお化け番組。この『木曜スペシャル』の仕掛け人だったのが石川さんです。いったい石川さんは、『ウルトラクイズ』の予算を、どのように決済していたのでしょうか。 当時の『木曜スペシャル』の予算、つまり会社から言い渡された制作費は、1本4500万円だったと関係者の皆さんが証言されています。 石川さんはすでに鬼籍に入られているため、第1回から石川さんの仕事ぶりを見てこられた作家の萩原津年武さんのインタビュー(「QUIZ JAPAN」第16号)から要約してご紹介します。 第1回の『ウルトラクイズ』は前後編の2本立てで、当時8000万ぐらいの予算があったそうです。ところが、倍ぐらい使ってしまったところ、経理に呼び出しを受けます。 経理「お前、こんなに赤字になってどうするんだ?」 石川「何が問題なの? 『木曜スペシャル』ってのは1年に54本あるんだろ? 54本で200万ずつ足していったらいくらになるの? それを調整すれば1億や2億なんてすぐ用意できちゃうでしょ? 予算なんてのは、上の人間が勝手にいくらと決めているわけだろう? でも、俺は『ウルトラ』をスポンサーにいくらで売ってるか全部知っているんだ。だから、この程度の赤字でゴタゴタ言うな!」 そういわれた経理はぐうの音も出なかったそうです。「石川には敵わない」とみんな思っていたと。ただ、会社なので、毎年赤字のたびに始末書は提出しなければなりませんでした。ところが石川さんは、始末書を出すのは面倒なので、以前のものをコピーして、年月日だけ入れ替えて出していたそうです。「俺の場合はそれで通っちゃうんだよ」という、なんとも豪快な逸話です。 第1回から赤字だった『ウルトラクイズ』は、萩原さんによると、「全17回すべて赤字だった」そうです。よく「視聴率が下降してきた後期の『ウルトラクイズ』が赤字に転落した」みたいな書かれ方をしますが、それはダウト。実態は、もともと予算を倍ぐらい超過して制作されていた番組だったのです。4500万の予算が5週なら、2億2500万。5週放送されていた『ウルトラクイズ』の最盛期は5億を超えていたそうですから、話がピッタリ合いますね。 私はアニメ関係の取材をしていましたので、ある有名なTVアニメの制作費について関係者に話を聞いたことがあります。アニメでも最初に用意された制作費を超えたら赤字として会社から怒られるそうです。ただし、作画枚数が多い手の込んだ回は赤字を承知の上で作っていたと。『木曜スペシャル』と同じロジックですね。そしてアニメの場合、赤字で作った作品でも、当たればDVDなどのソフト(今なら配信)、プラモやCDなどのグッズ、イベントなどの2次収益を生む「ドル箱作品」となって、巨大な利益を生み続けるのです。世界的に有名なアニメ映画『AKIRA』も映画公開時には数億円の赤字となり、バンダイは10年以上かけて、ようやくペイ(赤字から黒字に転換)したそうです。 石川さんが『ウルトラクイズ』の赤字で経理に呼び出された話は、まさにこの「1本ごと」の赤字の話なのでしょうね。しかし、石川さんは『ウルトラクイズ』があることで、どれだけ会社に利益をもたらしているかを把握していました。視聴率が高ければスポンサーが支払うCMの値段もアップします。さらにファミコンなどのゲームにもなり、日本テレビのイメージアップになり、就職でも日本テレビを志望する若者が溢れました。しかし、これらの2次収益や、売上の数字として目に見えない効果は、予算には含まれません。残念ながら、予算とはそういうものなのです。 石川さんがいなかったら『木曜スペシャル』という番組は1本1本予算内で作るこじんまりとしたものになっていたでしょうし、『ウルトラクイズ』なんていうコストが青天井の番組の企画は門前払いだったかもしれません。結局のところ、大きなビジネスを動かすのは「人」なのです。 映画界などでも耳にする、古き良き時代の豪快な制作スタイルですが、次第に赤字を許さない管理体制の時代が訪れます。バブル崩壊という時代背景、新体制による経営方針転換や社内政治(人事)など、いろいろなものがこの1993年頃に絡み合って、戦艦大和のような『ウルトラクイズ』が真っ先にやり玉に挙げられてしまった、ということなのでしょうね。 私はあくまで歴史の考証として書いているので、いい悪いは皆さんが考えてください。ただ、残念なのは、『ウルトラクイズ』が単なる「金食い虫の番組」と見なされて「取りつぶし」にあい、その後『今世紀最後』で1998年に一度だけ復活を果たしましたが、それ以来、開局何周年記念のたびに企画書が提出されても見向きもされない、いわば「タブー」と化した存在となってしまっていたことです。 「『ウルトラクイズ』は手に余る」と編成も尻込みする。それは『ウルトラクイズ』がいかに巨大すぎる番組だったかということを逆に証明しているようなものでした。 そして、ついに日本テレビの中で、閉めていたはずのパンドラの箱を開ける動きがありました。28年ぶりの、まさかの復活。 いま、テレビ局各局で、過去のIPの再評価をする動きが起こっています。フジテレビは『踊る大捜査線』や『GTO』を復活させ、『古畑任三郎』がNetflixで配信されて再ブームを呼びました。 かつて日本テレビの経営陣が「お荷物」だと判断した『ウルトラクイズ』が令和になって再評価され、当時の経営陣が思っていたよりも、はるかに視聴者に愛されていたことが、四半世紀経ってようやく証明されようとしています。 私は『ウルトラクイズ』は『ゴジラ』や『スター・ウォーズ』にも負けない、日本のテレビが生んだ最大のIPだと信じて疑いません。だからこそ、今回の「令和の第1回」には、最高の結果を出してほしいと願っています。 #アメリカ横断ウルトラクイズ
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「QUIZ JAPAN」で制作していますネットクイズ番組に、ついにレジェンド降臨! 永田喜彰さんが参加された「クイズトーナメント ザ・ビッグファイト」次回大会は今月下旬から配信予定です! お楽しみに! #ソーダライト
昨日は、早押しクイズの対戦番組 「クイズトーナメント『#ザ・ビッグファイト』」第9回大会の収録で クイズルーム『#ソーダライト』に行ってきました。 nitter.gq/sodalite_qroom/status/… 毎月ランクマッチのオンラインに参加してますが、江戸川橋の“現場”に行くのは久しぶり 「永田喜彰に当たってくだけろ」以来? リアル早押しボタン押せる🚨 アフター飲みできる🍻 オフクイズはいいですね! えっ?永田の結果ですか⁇ それは11月下旬からの配信お楽しみでしょ! quizjapan.com/category/quiz-… >RP とうちゅうクイズ弾丸バスツアー
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\KARADA WEEKにウルトラクイズパークが再び登場!/ 国内1次予選に登場した「ウルトラクイズパーク」から、 「どろんこクイズ」がKARADA WEEKにやってきます✨ ご家族やご友人と一緒に、 番組の世界を体感してみませんか? 会場でお待ちしております! 日時:11月6日(金)~8日(日) 場所:東京ドームシティ・セントラルパーク 参加費:無料
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ネイキッドロフト横浜、9月30日で営業終了していたんですね。4年前の2022年12月に、てれびのスキマさんの著書『史上最大の木曜日』の出版記念トークライブを開催した会場でした。あの日の自分に「4年後に『ウルトラクイズ』が復活する」なんて言っても、「そんなわけない、令和やぞ」って絶対信じないだろうなあ。 長戸勇人×てれびのスキマ×大門弘樹×能町みね子 『史上最大の木曜日』刊行記念トークライブ loft-prj.co.jp/schedule/nake…
ネイキッドロフト横浜撤収完了しました。 空っぽになった店内を見るのは寂しい気持ちになりますが新しい店舗が見つかれば再始動予定です!! 来場してくれたお客様。 イベント開催してくれた出演者様、主催者様。 働いてくれたスタッフの皆様。 本当にありがとうございました!! またどこかで!!
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28年ぶりに復活した『アメリカ横断ウルトラクイズ』の公式から、いろいろな話題がリリースされて盛り上がってきましたね。ちょうど今頃は、レギュラー放送していた時代に『ウルトラクイズ』が毎週放送されていたタイミングです。当時は「早く来い来い木曜日」でしたが、今回はお正月放送なので、「早く来い来いお正月」と思いながら、新春の放送を今か今かと楽しみにしています。 とはいえ、まだ収録は途中。公表されているスケジュールだと、11月末から後半の収録に再び出発することになっています。先日は米ロサンゼルスで開催される予定だった『ウマ娘』のイベントが、期日までにビザの承認が下りなかったために開催直前に中止になったというニュースがありましたが、海外でのロケは本当に様々なハードルがあるので、無事に撮影が終わることを祈っております。 SNS時代の『アメリカ横断ウルトラクイズ』ということで、今回はXの公式アカウントが国内第一次予選当日に撮影した様々な動画がアップされるなど、話題作りの面でも昭和と令和の違いが面白いですね。 28年ぶりの復活、しかも今回は年齢制限が65歳となったため、チャンピオンでも参加した方は、第11回の稲川さん、第12回の瀬間さん、第15回の能勢さん、第16回の田中さん、今世紀最後の小川君の5名のみ。また、公式のポストでバズっていましたが、第13回準優勝の永田喜彰さんも年齢制限内だったため参加されていました。 会場では、その他にも各回の参加者の方、クイズ王番組時代のレジェンドの方、そして『ウルトラクイズ』初参加となる40代以下の新世代と、クイズ関係の顔ぶれにも遭遇しました。 当日は、私は永田さんとチームを組んで参加しました。ニューヨークの青空をイメージしたスカイブルーのチームTシャツで、背中には「おかえりなさいウルトラクイズ」の文字をプリントしたデザインです。我々のチームの結成から、当日誰と会って、予選をどう戦ったかという顛末は、お正月の放送後にルポを連載ポストさせていただきますので、どうぞお楽しみに! #アメリカ横断ウルトラクイズ
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放送が近づいてきたためか、だいぶがっつりネタバレしてきましたね。 第1回以来となる羽田でのジャンケンは原点回帰ですね。そして「新・敗者の味方」がすばらしい人選。 早く来い来いお正月! #アメリカ横断ウルトラクイズ
\いよいよ放送2か月前!/ 伝説の“成田じゃんけん”が、令和は「羽田」で復活! 国内2次予選は、AIロボット「シナモン2」との対決で波乱の展開に!? “敗者の味方”には、アメフト姿のオードリー春日も登場🔥 2027年1月1日・2日の正月2夜連続放送です! 放送をお楽しみに! ウルトラクイズ
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今回は再び「視聴者参加クイズ番組」の歴史の話題です。1980年代は海外で取材したVTRから出題するクイズ番組が人気を博す一方で、昔ながらの口頭解答による視聴者参加クイズ番組がアニメなどの裏番組に駆逐されていったという流れを以前に紹介しました。 特に生物絶滅の境界線のように、視聴者参加クイズ番組の境界線となったのが1985年頃。偶然にも、この1985年前後に、長寿だった視聴者参加クイズ番組が一斉に放送を終了していきました。 中でも象徴的だったのが『アップダウンクイズ』です。『アップダウンクイズ』は「日曜19時戦争」と称される裏番組との視聴率争いのことばかり取り上げてきましたが、1985年にはもう1つ、番組の根幹を揺るがす大事件が起きてしまいます。 それが、1985年8月12日に発生した「日本航空123便墜落事故」でした。『アップダウンクイズ』は日本航空は番組開始当初から、優勝賞品である「ハワイ旅行」の協賛スポンサーでした。ミニスカートのキャビンアテンダントによる賞品贈呈は長年の番組の名物として親しまれてきました。その協賛が自粛となってしまったのです。 この事故の影響が『アップダウンクイズ』にとっては致命傷となったのは間違いないと思います。「時代の趨勢」と一言で語られがちな視聴者参加クイズ番組の相次ぐ放送終了ですが、1つ1つを紐解いてみると、不幸な出来事も重なっていたことがわかります。 1980年代末から1990年代前半にかけては、フジテレビの『平成教育委員会』『クイズ!年の差なんて』、日本テレビの『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』『マジカル頭脳パワー!!』といったタレント出演型のレギュラー番組が高視聴率を獲得しつつ、視聴者参加クイズ番組は、『アメリカ横断ウルトラクイズ』『高校生クイズ』を筆頭に、『史上最強のクイズ王決定戦』『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』など、スケールの大きい特番が話題の中心でした。ある意味、タレント解答型と一般参加型で「住み分け」ができつつあったわけですが、一方で、数こそ少なくなりつつも、視聴者参加型のレギュラー番組も新たに誕生しています。 個人的に大好きだったのは、1989年から1992年にかけて日曜22時にフジテレビで放送されていた『クイズ!早くイッてよ』。司会は関根勤さんで、「テーマから連想する言葉を、制限時間15秒内でいくつ当てられるか」を競う連想ゲーム的なクイズ番組でした。 フジテレビは1991年から深夜枠で『カルトQ』も生み出し、1992年からは『クイズ!早くイッてよ』と入れ替わる形で、日曜22時半に昇格しました(残念ながら昇格後は半年で放送終了) そしてTBSでは1991年から島田紳助さんと島崎和歌子さん司会による『クイズ!当たって25%』が放送スタート。木曜22時台に、なんと生放送の1時間番組という異例の番組で、毎回25人の団体8チーム・200名がTBSのスタジオに集められました(1チームはお笑い芸人) この番組はまず1991年6月に一般参加者によるパイロット版が放送され、10月に200名全員が芸能人という『オールスター感謝祭』の第1回として放送。その2週間後から「一般参加者によるレギュラー番組」化されたのが『クイズ!当たって25%』という流れになります。 『オールスター感謝祭』でおなじみの200名での4択クイズを競うというクイズシステムは、コンピューター制御による当時最先端のシステムで、約7000万円もの費用をかけて開発されたそうです。番組中でもよく紳助さんが「TBSが社運をかけて開発した」と強調していました。 一般参加者版の『クイズ!当たって25%』は残念ながら半年で打ち切りとなりますが、同時に誕生した『オールスター感謝祭』は半年ごとの特番として現在に至るまで、このクイズシステムを使い続けています。 また、この『クイズ!当たって25%』で注目を集めたのが、報道出身のレポーター、鈴木史朗アナでした。鈴木アナは、翌1992年から放送をスタートした『さんまのSUPERからくりTV』の『ご長寿早押しクイズ』の司会として、お茶の間の人気者となります。 まだまだバブル景気の真っ只中で、どの番組も華やかだった時代ですね。しかし、そこに再び「クイズ番組冬の時代」「クイズ番組消滅の境界線」が訪れます。まさにバブル崩壊による「1993~1994年」頃でした。
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「第14回ウルトラクイズ」座談会の皆さんは全員、「非クイズ研」の方々ですが、お読みではないですか? 「QUIZ JAPAN」第14号の「アタック25」出場者座談会はお読みになりましたか? こちらも「非クイズ研」の方々に集まっていただきましたが。
クイズマニアの方々からお叱り受けることを承知で申し上げますが。大門氏(@hdymon )は取材等をする際に非クイズ研の方々に注目してないと思いますが。気のせいでしょうか。記事等を見る限りクイズ番組優勝者の方々ばかり取り上げている気がいたしますが。
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