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【固定ツイ】令和になってから良くも悪くも御朱印の話題が多いので改めて。「御朱印について・もらい方」という記事を作成しています。御朱印に興味がある方はご覧下さい。節度とマナーを守り神仏へ感謝の気持ちと崇敬の念を持って寺社巡りを楽しんで頂けたらと切に願います。
jinjamemo.com/goshuin
四谷須賀神社。
『君の名は。』の聖地と、数多くのアニメヒット祈願絵馬。『鬼滅の刃』なども。
クリア御朱印と共に動画でも少しだけ。
#御朱印
四谷須賀神社。新宿区須賀町。
四谷総鎮守。男坂は『君の名は。』のラストシーンで登場する事で世界的に有名です。
10月より授与開始した「犬のクリア御朱印」「猫のクリア御朱印」を頂きました。初穂料は各700円。
とても可愛らしくてキラキラしているクリア御朱印です。今月は11月22日がわんわんにゃんにゃんの日らしいのでちょうど良いかも🐕🐈
他にも重ね御朱印や切り絵御朱印など数多くの御朱印を用意していますのでお好きなのを頂いてみてください。
男坂は『君の名は。』のラストシーンやキービジュアルにも登場する事でとても有名。そのため海外の方からは都内の人気観光スポットになっていて連日多くの人が聖地巡礼に訪れます。
この日もひっきりなしに外国人観光客が多数。撮影するために皆さん律儀にしっかり行列を作っていました。前に参拝した時は各々好き勝手に撮っていた印象でしたが、今は並んで待つようになったのですね。自然発生的にルールが決まったのか分かりませんが面白いなぁと眺めてしまいました。『君の名は。』映画公開からもう10年経ちますがまだまだ人気です。
こうした『君の名は。』の聖地となり映画が大ヒットした事から今ではアニメ関係者たちからの崇敬が大変篤い事で知られます。新作TVアニメ、劇場版アニメなどが公開前には制作スタッフなど関係者が大ヒット祈願に訪れる事が恒例に。
今はこうしたヒット祈願の絵馬は集められて絵馬掛に掲示される形になっていたので見つけやすいと思います。拝殿前には『鬼滅の刃 無限城編』の大ヒット祈願絵馬も。アニメ好きにとっては聖地です。
11月7日・19日は「酉の市」を開催。熊手商もきます。ぜひ当社にも。
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須賀神社の創建年代は不詳ですが創建当時は一ツ木村(赤坂)の清水谷にあった鎮守「稲荷社」が起源であると伝わります。
当時は赤坂という四谷とは全然違う場所にあったお稲荷様でした。
江戸時代に入ると寛永十一年(1634)に江戸城に外濠を設置することになります。一ツ木村を含む麹町地区のエリアが江戸城の外濠普請の対象となったため対象範囲の寺社は立ち退きを余儀なくされ、旧麹町地区のほとんどの寺社はこの四谷に集団移転。当社も遷座します。
寛永十四年(1637)になると日本橋大伝馬町の名主・馬込勘解由が徳川将軍家より四谷一帯を賜ります。勘解由は寛永十八年(1641)に「神田明神」境内に祀られていた大伝馬町の産土神・牛頭天王を四谷のお仮屋横丁付近に小祠を造り祀りました。
寛永二十一年(1644)になると参拝者が余りに多かったため寺社奉行に願い出て「稲荷社」(当社)と合祀。「稲荷社」に「天王社」が合祀されたため「稲荷天王合社」と呼ばれ、とりわけ牛頭天王への信仰が強かった事で「四谷天王社」と呼ばれる事も多くなっていきます。これが今の須賀神社のベースです。
牛頭天王(ごずてんのう)とは日本における神仏習合の神さまです。釈迦の生誕地に因む祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神とされたため牛頭天王を祀る信仰を祇園信仰(ぎおんしんこう)と称します。
総本社は祇園祭でも知られる京都の「八坂神社」。神道ではスサノオと習合したため明治の神仏分離後の神社では御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)に改められたところが殆どです。
明治になり神仏分離となると社号を「須賀神社」に改称します。社号の「須賀」とは、御祭神のスサノオが出雲国の簸の川の上流でヤマタノオロチを退治した際に「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と述べ、宮居を創立したという故事が由来になっています。そのため全国の須賀神社はスサノオを祀っている事が殆どです。
ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印
出雲大社東京分祠。港区六本木。
縁結びの神様。都内唯一の「出雲大社」分祠。
11月1日-29日まで授与の「神在祭祈念御朱印」を頂きました。書き置きのみで初穂料1,000円。通常御朱印は帳面に頂けます。
神在祭(かみありさい)とは本社である島根県の「出雲大社」で11月18日から11月25日まで行われる祭事です。
旧暦10月は神無月(かんなづき)。俗説としてよく知られるのが、日本中の八百万の神々が出雲国の出雲大社に集まって会議をするため、各地の神社から神様が留守になるから神無月、という民間語源。
そのため出雲大社など出雲地方では、旧暦10月を逆に神在月(かみありづき)と呼び事があります。面白いですね。
旧暦10月は今の暦では11月にあたりますので出雲大社では11月に神在祭が行われます。
出雲大社の御祭神である大国主大神(おおくにぬしおおかみ)は目にはみえない「神事(幽事)」を司られる神さまで、人々の幸せの御縁を結ばれる神さまでもあります。神在祭では集った神々の会議「神議(かみはかり)」の主宰を担い神々を迎え入れます。
簡単にまとめると「全国の神々が出雲大社に集まり、人々の『ご縁』を話し合う会議」が行われる、という訳です。
東京分祠では祭事は行われないのですが、その代わり拝殿前に「神在祭祈念遥拝所」が設けられていました。本社と稲佐の浜をお祈りするところとの事なので、ご縁を求めて合わせてお参りしてみて下さい。
他にも神在祭期間限定の女神様みくじなども用意されていました。
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出雲大社。出雲大社の正式名称は「いずもおおやしろ」。一般的には「いずもたいしゃ」と呼ばれます。
当社は六本木のビルの内部に神殿(拝殿)が設けられています。ビルの3階部分に神殿がありますので階段を上り、左手の手水舎で身を清め、さらにその隣にある祓社(はらいのやしろ)で身を清めます。
その後神殿で二拝四拍手一拝でお参りをします。通常の神社の二拍手ではなく四拍手を行う出雲式。参拝作法は自由で良いとは思いますが、せっかく出雲大社にお参りするのですからぜひ四拍手で参拝してみて下さい。
東京分祠として授与品も島根県出雲市の出雲大社と同じ品を一部頒布しています。東京にいながら島根の出雲大社と同じご利益を授かれるとされています。
島根の出雲大社は大国主大神をお祀りする「宗祠(そうし)」、それに対して出雲大社東京分祠は宗祠からの御分霊を奉斎する都内唯一の「分祠(ぶんし)」です。
元々当社の起源に関わったのが島根の出雲大社の大宮司である千家尊福(せんげたかとみ)。
明治六年(1873)に尊福は出雲信仰の布教のため「出雲大社敬神講」を創設し出雲大社の社務所内に大社教院を設けました。この出雲大社敬神講は「出雲大社教会」と改称され布教の教会とされます。
明治十一年(1878)には東京及び東日本での布教の要として「神田明神」の社務所内に出雲大社教会の東京出張所を設けました。この東京出張所が当社の起源です。明治十六年(1883)には移転した東京出張所に神殿(社殿)を造営。尊福によって出雲大社の分霊が祀られ「出雲大社東京分祠」(当社)が建立。
明治二十二年(1889)に麻布区材木町(現・港区六本木)に遷座。これが現在の鎮座地です。
このように出雲信仰を東京や東日本に広めるために創設されたのが当社ですので、出雲大社と同様のご利益がある訳ですね。
出雲大社の御祭神は古くから縁結びの神様として知られます。縁結びというと男女の縁を思い浮かべますが、縁というのは男女の縁だけでなく人とのつながり仕事の縁など様々なご縁を繋げてくれる神様です。
ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印
四谷須賀神社。新宿区須賀町。
四谷総鎮守。男坂は『君の名は。』のラストシーンで登場する事で世界的に有名です。
10月より授与開始した「犬のクリア御朱印」「猫のクリア御朱印」を頂きました。初穂料は各700円。
とても可愛らしくてキラキラしているクリア御朱印です。今月は11月22日がわんわんにゃんにゃんの日らしいのでちょうど良いかも🐕🐈
他にも重ね御朱印や切り絵御朱印など数多くの御朱印を用意していますのでお好きなのを頂いてみてください。
男坂は『君の名は。』のラストシーンやキービジュアルにも登場する事でとても有名。そのため海外の方からは都内の人気観光スポットになっていて連日多くの人が聖地巡礼に訪れます。
この日もひっきりなしに外国人観光客が多数。撮影するために皆さん律儀にしっかり行列を作っていました。前に参拝した時は各々好き勝手に撮っていた印象でしたが、今は並んで待つようになったのですね。自然発生的にルールが決まったのか分かりませんが面白いなぁと眺めてしまいました。『君の名は。』映画公開からもう10年経ちますがまだまだ人気です。
こうした『君の名は。』の聖地となり映画が大ヒットした事から今ではアニメ関係者たちからの崇敬が大変篤い事で知られます。新作TVアニメ、劇場版アニメなどが公開前には制作スタッフなど関係者が大ヒット祈願に訪れる事が恒例に。
今はこうしたヒット祈願の絵馬は集められて絵馬掛に掲示される形になっていたので見つけやすいと思います。拝殿前には『鬼滅の刃 無限城編』の大ヒット祈願絵馬も。アニメ好きにとっては聖地です。
11月7日・19日は「酉の市」を開催。熊手商もきます。ぜひ当社にも。
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須賀神社の創建年代は不詳ですが創建当時は一ツ木村(赤坂)の清水谷にあった鎮守「稲荷社」が起源であると伝わります。
当時は赤坂という四谷とは全然違う場所にあったお稲荷様でした。
江戸時代に入ると寛永十一年(1634)に江戸城に外濠を設置することになります。一ツ木村を含む麹町地区のエリアが江戸城の外濠普請の対象となったため対象範囲の寺社は立ち退きを余儀なくされ、旧麹町地区のほとんどの寺社はこの四谷に集団移転。当社も遷座します。
寛永十四年(1637)になると日本橋大伝馬町の名主・馬込勘解由が徳川将軍家より四谷一帯を賜ります。勘解由は寛永十八年(1641)に「神田明神」境内に祀られていた大伝馬町の産土神・牛頭天王を四谷のお仮屋横丁付近に小祠を造り祀りました。
寛永二十一年(1644)になると参拝者が余りに多かったため寺社奉行に願い出て「稲荷社」(当社)と合祀。「稲荷社」に「天王社」が合祀されたため「稲荷天王合社」と呼ばれ、とりわけ牛頭天王への信仰が強かった事で「四谷天王社」と呼ばれる事も多くなっていきます。これが今の須賀神社のベースです。
牛頭天王(ごずてんのう)とは日本における神仏習合の神さまです。釈迦の生誕地に因む祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神とされたため牛頭天王を祀る信仰を祇園信仰(ぎおんしんこう)と称します。
総本社は祇園祭でも知られる京都の「八坂神社」。神道ではスサノオと習合したため明治の神仏分離後の神社では御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)に改められたところが殆どです。
明治になり神仏分離となると社号を「須賀神社」に改称します。社号の「須賀」とは、御祭神のスサノオが出雲国の簸の川の上流でヤマタノオロチを退治した際に「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と述べ、宮居を創立したという故事が由来になっています。そのため全国の須賀神社はスサノオを祀っている事が殆どです。
ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印
六郷神社。大田区東六郷。
六郷一帯の総鎮守。源氏や鎌倉御家人ゆかりの伝承が多く残る八幡さま。
10月1日-11月30日まで授与の「秋限定御朱印」を頂きました。境内の夫婦楠をデザインした御朱印です。見開きサイズで初穂料1,000円。
今年から季節に応じた見開きの限定御朱印を始めていたそうです。他に運動会的な「秋限定御朱印」も用意がありました。また飛地境内社の「髙畑神社」「北野神社」の御朱印も頂けるそうです。境内の掲示を載せておくのでご覧ください。
※11月は5日・17日・26日が社務所休務日なので御朱印対応はありません。
本日は崇敬会による崇敬会大祭が行われていて境内で野点なども行われたようです。
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六郷神社は天喜五年(1057)に源頼義・義家(八幡太郎)父子によって創建されたと伝わります。
源頼義・義家父子が前九年の役で奥州へ向かう際、当地にあった大杉に源氏の白旗を掲げて軍勢を募り、源氏の氏神である八幡神に戦勝祈願。すると軍の士気が大いに高まり見事勝利。
凱旋後、当地に八幡宮を創建したとされます。
源氏の白旗を掲げた大杉は「白旗の杉」と呼ばれ御神木として信仰を集めました。樹齢1,000年以上の御神木でしたが大正十一年(1922)に枯死してしまったため現在は根株が保存されています。
文治五年(1189)、源頼朝は奥州合戦の際に、祖先の故事に倣い白旗を立て戦勝祈願を行っています。
建久二年(1191)、奥州合戦に勝利した頼朝は、家臣である梶原景時に命じて当社の社殿を造営。以後、当地が六郷と呼ばれていた事から「六郷八幡宮」と呼ばれ、八幡神を氏神とする源氏からの崇敬を集め続けました。
梶原景時(かじわらかげとき)は鎌倉幕府の有力御家人です。「石橋山の戦い」で頼朝を救ったことから重用され都の貴族からは「一ノ郎党」と称されていました。一方で源義経と対立し頼朝に讒言し最終的に義経を死に追いやった事でも知られます。頼朝の死後に追放され一族は滅亡しています。
現在、社宝となっている雌獅子頭(めじしがしら)は頼朝が寄進したと伝わる他、境内に残る水盤もこの際に頼朝が寄進したものと伝わっています。更に神門前の太鼓橋は梶原景時が寄進したものと伝わっています。
このように源氏ゆかりの神社として、さらに地域からは六郷の総鎮守とされて崇敬を集めました。
六郷とは江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』に「多摩川の岸沿いの、八幡塚、高畑、古川、町屋、道塚、雑色の六村が、昔六郷村という一つの村であった」と言う旨が記されています。
徳川家康が江戸入りすると、天井十九年(1591)に家康が朱印地18石を寄進。家康は鷹狩の際に当社に直接参拝したと伝わります。
徳川将軍家からも崇敬を集め、その証拠として八幡宮の巴紋と併せて徳川家の葵紋を用いる事が許されていたとか。
江戸時代の地誌には『江戸名所図会』では「八幡塚八幡宮」として境内を描かれています。気になるのは表題にも書かれている「八幡塚」の存在。社殿の奥の竹林に囲まれた中にひときわ目立つ八幡塚が描かれているのですが、現在も立ち入り禁止区画に御塚として残っています。
この八幡塚、江戸時代の『新編武蔵風土記稿』には荒神でしばしば祟りを起こし土中に埋めた神輿がこの「八幡塚」であるとの記述があります。
他に伝説として、創建に関わった源義家が奥州征伐の折に武器を納めて塚としたといった説や、頼朝が宝物神器を土中に埋めたといった説が残ります。
江戸時代の『四神地名録』には「土人の云い伝へには、数々の宝物神器を土中に埋めて塚とす。此の故を以って八幡塚と号せるよし」 と書いていたりと、色々と謎多き塚です。
実は現代に入って何度かの調査をされていたり。
昭和四十五年(1970)、中世陶器と土器が発見。調査により壺の年代は12世紀末ものもであった事が判明し、八幡塚の築造は平安時代末から鎌倉時代初期であると推定される事に。
平成五年(1993)、地中レーダー調査が実施。この塚は今よりももっと大きな大きさだった事が分かっていて、壺も発見。壺に埋納されたものは写経類と思われる事からおそらく「経塚」ではないかと考えられています。
いずれにせよ聖地であったのは間違い無いでしょう。
明治になり神仏分離。明治五年(1872)に郷社に列しました。明治九年(1876)に現在の「六郷神社」に改称しています。
昭和六十二年(1987)、鎮座九百三十年を祝して現在の社殿を造営して現在に至ります。
歴史も長く多くの崇敬を集めた八幡さま。ぜひ参拝してみてください。
#御朱印
穴守稲荷神社。大田区羽田。
東京羽田のお稲荷さん。
本日11月3日は例祭。12年に1度の御縁年「午年」の記念すべき例祭でした。本日限定の「金文字御本社御朱印」を帳面に頂きました。
更に本日から頒布開始した授与品「実寿穂守(みずほまもり)」も頂いています。稲穂と特製の小判。初穂料1,500円。
守り抜かれた実りが黄金となって、皆様の手もとに巡りますように、財の「穴」をしっかりと守り、福を蓄え、商いが益々栄えますよう願いを込めた御守、との事です。小判の「穴守」の印は戦前の絵葉書集の包みに押されていたものを復刻したとか。
金運の巡りが良くなりそうなとても素敵な御守りなのでぜひ頂いてみて下さい。
本日は例祭ということで色々な催しや販売も。お汁粉も頂いたりと嬉しい。本社の裏手にあるサバイバーキツネさんで知られる福徳神社には巨大な鳥居が完成していました。インパクト大。水琴窟近くの花手水も綺麗。
今年は御縁年と言う事で初午に始まり色々な節目や祭事で参拝できてよかったです。本日も大変賑わっていました。参拝する度に鳥居も増えているようで改めて凄いなと。往年の姿に追いつけ追い越せですね。
神社好きはもちろん、羽田空港との縁から航空ファンの方、さらに往年の名馬イナリワンの馬名由来になった事から競馬ファンやウマ娘ファン、そして復元プロジェクトが動いている稲荷宗近(三条宗近の太刀)から刀剣ファンからも注目を浴びる穴守稲荷。
とても楽しい神社です。
.....
穴守稲荷神社は文化元年(1804)に創建。羽田浦(現在の羽田空港の敷地内)に創建されたお稲荷様です。
天明年間(1781年-1788年)、羽田猟師町の名主・鈴木弥五右衛門が幕府より開墾の許可を得て要島と呼ばれた地域の開墾を行いました。
文化元年(1804)、海が荒れて沿岸の堤防に大穴が空き決壊、近くの村々は海水による被害を受けたため新田開発の守護神として要島の堤防の上に稲荷大神の祠を祀ったところ、嘘のように海が静まり堤防の決壊もしなくなったと言います。これが当社の起源です。
堤防の「穴」の被害から人々を「守」る「稲荷」で「穴守稲荷」。
鈴木新田の守護神として新田に住む農民漁民から崇敬を集めた他、社号から遊女からの信仰を集めたとか。
当社が隆盛を迎えるのは明治以降。
明治以降の鈴木新田は、神社の隣に鴨猟場があり、海岸沿いに幾つも海水浴場もあって潮干狩りも楽しめる観光地でした。その後は鉱泉が発見され温泉も湧き出し観光客が増加。当社の参道付近には温泉旅館や芸者の置屋ができるなど、レジャー施設や歓楽街のある観光地として発展していく事に。
明治三十二年(1899)には京浜電気鉄道(現在の京急)が営業開始し、2年後には蒲田(現・京急蒲田)-穴守間が開業。
この鉄道は穴守線と呼ばれ当社への参拝客を見込んで京急が敷設した路線です。これが現在は羽田空港へと繋がる京急空港線の基礎となっています。
更に羽田飛行場(現・羽田空港)の開港、羽田競馬場という競馬場まで誕生。
東京の一大観光地として賑わいを見せた当社とその周辺。当社は次々と立派に境内整備が行われ隆盛を極め全国的に当社へ参拝を行う講社が200以上も結成された程。
しかし終戦後、GHQの羽田飛行場拡張のための強制退去命令が出されます。48時間以内の強制退去と言う急な命令でした。
その後、地元の崇敬者達が移転先となる700坪を寄進。これが現在の鎮座地で仮社殿を建て遷座し復興。
昭和四十年(1965)には現在の社殿が竣工。令和二年(2020)には奥之宮を改修整備。奥之宮の裏手には隆盛を極めた頃にあった築山である稲荷山が完成。
ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印
新宿十二社熊野神社。新宿区西新宿。
新宿総鎮守の一社。西新宿一帯の鎮守。
11月1日-30日まで授与の「犬の日特別御朱印」を頂きました。見開きサイズの書き置きのみでクリアファイル付き。初穂料1,000円。なくなり次第終了。通常御朱印は帳面に頂けます。
本日11月1日がワンワンワンで「犬の日」。ワンちゃんたちたっぷりな御朱印です。ペット絵馬も新たに頒布開始となりました。
新宿中央公園と隣接していますので、ワンちゃん達と散歩がてら一緒に参拝する方もとても多い神社です。
御朱印は他に11月7日-19日まで「大酉祭御朱印」を授与。酉の市に合わせた御朱印です。
今年の酉の市は11月7日が一の酉、19日が二の酉。三の酉はありません。当社では露店などは出ませんが神職さん手作りの熊手が頒布されます。
新宿では酉の市をやる神社が三社ありまして、「花園神社」「成子天神社」「十二社熊野神社」です。中でも規模が大きく熊手商や露店が24時間出て大賑わいになるのが花園神社の酉の市。関東三大酉の市の一社に数えられます。当社と共に新宿総鎮守の一社です。
ぜひ酉の市にも合わせて参拝してみて下さい。
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十二社熊野神社の創建は応永年間(1394年-1428年)のこと。後に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州「熊野三山」より勧請して創建されました。
鈴木九郎は馬の売買や未開墾地であった中野付近の開拓を行い、商売で大成功したため「中野長者」と呼ばれるようになった人物。現在の西新宿から中野にかけてを開拓し、発展の基礎を作ったと人物です。
創建当時は「熊野三山」より若一王子のみを祀っていた当社。その後、家運が上昇した鈴木九郎は「中野長者」と呼ばれるまでに商売が大成功。応永十年(1403)には若一王子だけでなく熊野十二所権現(くまのじゅうにしょごんげん)を全てを勧請しました。
そのため当社は「熊野十二所権現社」と呼ばれ崇敬を集めました。
現在の十二社熊野神社は「十二社」と書いて「じゅうにそう」と読みます。初見ではまず読めない読み方だと思います。その由来は上述の通り熊野十二所権現から。
熊野十二所権現とは略して熊野権現とも呼ばれ熊野三山に祀られる神々の総称です。主祭神のみを指して熊野三所権現。主祭神以外の神々も含めて熊野十二所権現。区分としては三所権現・五所王子・四所明神に分けられます。
こうした熊野三山の神々を祀った神社だったため元々は「熊野十二所権現社」と呼ばれた当社。それがいつしか転訛して「十二社(じゅうにそう)」と呼ばれる事に。
じゅうにしょ→じゅうにそう
江戸時代の地誌『江戸名所図会』には「世人誤て十二そうといふ多景にして遊観多し」と記してありまして、江戸後期には既に「じゅうにそう」と呼ばれていた事が分かりますが、人々が誤って言い出したと書かれています。面白いですよね。
そんな当社が鎮守している現在の西新宿エリアはかつて角筈(つのはず)と呼ばれた一帯でした。
角筈(つのはず)の地名由来は当社創建以降に角筈周辺を開拓した渡辺与兵衛という人物に由来します。与兵衛の髪の束ね方が異様で角にも矢筈にも見えた事から、人々が与兵衛を矢筈と呼びこれが転じて角筈となったとか。こちらもユニークです。
江戸時代には社前に十二社池と呼ばれた大小2つの池が広がり大変雅な神社であったと伝わります。今の新宿中央公園などを含めた広い範囲が境内でした。熊野滝と呼ばれた大きな滝もあり江戸近郊の景勝地として人気に。歌川広重などが浮世絵にも残しています。また幕末から明治にかけて活躍した噺家(落語家)・初代三遊亭圓朝が創作した怪談『怪談乳房榎』にも熊野滝が登場します。
明治になると当社周辺に淀橋浄水場が建設。戦後になり新宿中央公園が開園し現在は隣接する形で鎮座しています。
都庁や新宿中央公園含めて楽しみながら参拝できる神社です。江戸時代からの文化財も多数。ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印
新宿諏訪神社。新宿区高田馬場。
西早稲田・高田馬場・大久保地区の総鎮守。
11月1日-30日まで授与の「月替わりわんにゃん御朱印」を帳面に頂きました。初穂料はわんちゃん、にゃんこちゃん共に500円。
11月1日はワンワンワンで「犬の日」、11月22日は「わんにゃんの日」という事で、個人的にぴったりな御朱印です。
このシュールな姿の「わんにゃん御朱印」も元々は昨年の11月22日のわんにゃんの日に合わせて授与されたもの。とても人気だったので今ではこうして月替わりでスタンプが変わり定番化されました。今月はオータム仕様。初穂料各500円。
他にも月替わり御朱印も多数用意があります。帳面に頂けるのも多いので好きな御朱印を頂いてみて下さい。
恋の森御朱印帳も人気のようです。キラキラな金の箔押し仕様でかなり豪華で綺麗。初穂料3,500円。
新宿諏訪神社は6月と12月の大祓の茅の輪潜りで、ペット用の小さな茅の輪も設置していて、ワンちゃんも茅の輪潜りできるようになっていたりとユニークです。ぜひワンちゃんとも参拝してみて下さい。(新宿諏訪神社ではOKですが禁止の神社もありますので、その辺は臨機応変に対応して下さい)
また11月3日の文化の日には「東京文化財ウィーク2026」の一環として、10時-15時まで文化財の絵馬などが公開されるそうです。新たに新宿区指定文化財となったもの。機会があれば文化の日にもぜひ。
.....
新宿諏訪神社は弘仁年間(810年-820年)に小野篁が大国主命・事代主命を祀った事に始まると伝わります。
大国主命・事代主命とは今で言う大国様と恵比寿様。創建当時はこの2柱を祀る神社で現在のように諏訪信仰の神社ではなかったのが興味深いです。
平安時代にはオリジナル御朱印帳にもなった「恋の森」伝説が残ります。
それは平安時代の貴族・歌人であり伝説のイケメンとも言われる在原業平(ありわらのなりひら)の伝承によるもの。
在原業平が妻と当地周辺を彷徨っていると離れ離れになってしまいます。彷徨い続けたまま夜になり業平は妻を想い歌を詠みました。
「あすはかたここにうつしの宮居かな そのねぎ言をきくや神垣」
(明日はここに神がいて願いを聞いてくれるだろうか)
夜が明けると業平夫婦はお互いすぐ側で寝ていて、実は同じ大木の下で一夜を過ごしていた事が分かりました。それ以来この周辺は「恋の森」と呼ばれるようになったと言います。
江戸中期の随筆『南向茶話 追考』にも記されている伝承で江戸時代には伝わっていた物語のようです。
その後は源頼義と義家父子の戦勝祈願、源頼朝が故事に倣い戦勝祈願・社殿造営したりと源氏ゆかりの神社としても信仰されました。
当社が諏訪神社となるのは江戸時代初期の事。尾張藩初代藩主・徳川義直(家康の9男)によって信濃国「諏訪大社」の御分霊を勧請し合祀、「諏訪神社」と改称されます。
以後は徳川将軍家より庇護されました。
寛永年間(1624年-1644年)、第三代将軍・徳川家光により社殿造営。その後、第四代将軍・徳川家綱が鷹狩に使用していた手鷹を当社へ奉納。以降、老鳥は代々当社へ奉納することに。
明和年間(1764年-1772年)、第十代将軍・徳川家治が鷹狩りの際に参詣。当社の御分霊を江戸城内の紅葉山と吹上御殿(現・浜離宮)に勧請しています。
明治になると諏訪森と呼ばれていた当社周辺に諏訪森近衛射的場が設営。明治天皇が行幸され当社の境内から天覧、当社へ神酒と鴨を奉納されました。この事から当社の社殿に菊の御紋が付けられるようになっています。
古くから様々な伝承や歴史を有する地域を代表する一社。ぜひ参拝してみてください。
#御朱印
渋谷氷川神社。渋谷区東。
旧下渋谷村・旧下豊澤村(現在の渋谷区南端一帯)の鎮守。
11月1日-30日まで授与の「月替わり御朱印」を帳面に、「新嘗祭特別御朱印」を書き置きで頂きました。初穂料各500円。
「月替わり御朱印」は🦉が可愛い。一粒万倍日には特別印が追加されます。
「新嘗祭御朱印」は11月15日-23日までは帳面にも頂けます。それ以外は書き置きでの授与です。
新嘗祭(にいなめさい)とは11月23日に宮中や神社で行われる収穫感謝祭です。その年の収穫を感謝して神様に新穀を捧げます。宮中でも天皇陛下が新穀を神様に供えて感謝の奉告を行い、これらを神様からの賜りものとして自らも食します。
現在では毎年11月23日は「勤労感謝の日」として祝日ですが元々は新嘗祭として同日が明治時代より祝日だったものです。戦後になり勤労感謝の日に改称されました。
他に御朱印は11月15日に恒例の「縁結び御朱印」を授与。毎月15日は縁結び祈願祭。縁結び神社として大人気のため時間が近づくと境内が人で溢れます。
15日は15時15分より縁結び祈願祭を斎行。入れる人の数に上限があるため参列希望の方は抽選式です。14時30分-15時までに抽選用紙に記入して提出。15時に発表という流れです。それとは別に縁結び祈願書も配布していたり、限定御朱印、限定の縁結び御守の頒布もありますので、ぜひ毎月15日にも参拝してみて下さい。
今月の1日は日曜日ということもあって朝から
縁結び絵馬お目当ての参拝者が続々と。皆さん絵馬に色々と書いているようでした。凄い人気。
絵馬掛けに大量に掛けられたハート型の縁結び絵馬。最近は推し活の一環で推しとの縁を求めて頂く方のほうが多いようです。ぜひ願いを書いて絵馬掛けに掛けて下さい。初穂料1,000円で通年頒布。
この縁結び絵馬と同じデザイン、同じ国産桧を使った授与品が縁結び御守り。推しカラーが選べるように全10色。好きなカラーをチョイスしてみて下さい。初穂料800円。
境内の落ち葉はハート型に集めてくれていました。人気の縁結び神社、押し活神社です。
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渋谷氷川神社は渋谷最古の神社と伝えられる古社です。景行天皇の御代(71年-130年)に創建とされ、日本武尊が東征の際に当地に素蓋鳴尊(すさのおのみこと)を勧請したと伝えられています。
弘仁年間(810年-824年)には慈覚大師(円仁)が「宝泉寺」を開基し当社の別当寺に。
江戸時代になると寛文年間(1661年-1673年)に渋谷村が上渋谷村・中渋谷村・下渋谷村に分村。当社は下渋谷村の鎮守となりました。
この下渋谷村とは当社周辺だけでなく現在の恵比寿周辺や広尾の南部(渋谷川より南)を含む広い範囲です。現在の渋谷区南端一帯にあたり、こうした一帯の鎮守でした。
例祭になると行われていたのが奉納相撲。江戸時代の地誌には「角力を興行す」と相撲が行われていた事が記してあり、『江戸名所図会』には境内に土俵も描かれています。
この奉納相撲は「金王相撲」と呼ばれ江戸から多くの見物人が集まったそうです。当社の相撲は同じく奉納相撲が有名だった「世田谷八幡宮」「大井鹿嶋神社」と共に江戸郊外三大相撲とも呼ばれました。
その名残で現在も参道脇が「氷川の杜公園」として整備されている児童公園になっていてその一画に相撲場跡として土俵が置かれています。
また当社の御祭神となっている素盞鳴尊(すさのおのみこと)と稲田姫命(いなだひめのみこと)は夫婦神。そこから縁結びとされている訳ですが、そこに土俵形である円と縁をかけ縁結びの神として信仰されています。
元文・明和年間(1736年-1772年)に記されたと見られる筆者不詳の古随筆『望海毎談』には江戸の氷川明神が7社記されています。この7社がいわゆる「江戸七氷川」。当社はそのうちの1社です。
またこの頃の当社には常盤松と呼ばれる御神木があり有名でした。源義経の母である常盤御前が植えたとも、世田谷城主・吉良頼康の側室である常盤姫が植えたとも伝わっていた松の木。現存はしていませんが今も当社のほぼ隣にある渋谷区立常盤松小学校などに名前が残ります。
境内には古い物も多数。個人的に好きなのは境内社の稲荷社の前に置かれた小さくて可愛い狛犬、そして厳島神社の前に置かれた古い狛犬。中でも苔むした狛犬。
人気の縁結び神社。ぜひ参拝してみてください。
#御朱印 #限定御朱印
ブログ更新
【2026年11月限定御朱印を頂ける東京都の神社まとめ】
酉の市や新嘗祭などの限定御朱印や月替り御朱印など。当ブログ内で記事を作成している神社のみ地域別に情報を簡易にまとめた形になります。詳細は各公式サイトやSNS・該当記事をご覧下さい。 ...
jinjamemo.com/archives/20261…
久國神社(久国神社)。港区六本木。
旧谷町・旧箪笥町の鎮守。古くは「久国稲荷神社」と称されていたお稲荷様。
久国の社号は鎌倉時代の刀工・粟田口久国作の刀が奉納された事に由来します。
御朱印は書き置きが拝殿横に置いてありセルフ式。昨年参拝した時は5種類ありましたが今回参拝時は4種類置いてありました。猫ちゃんと狐のシュールな御朱印を頂いています。初穂料500円は賽銭箱へ。
自分が参拝するといつも猫ちゃんがお出迎えしてくれる久国神社。この日は猫ちゃんの姿が見えなかったので「あら、今日は猫ちゃんいないね」なんて口に出したら、それに反応したように「ニャーニャー」言いながら茂みの奥から白い猫ちゃんが出てきてくれました。そのまま日向ぼっこ。この子は懐っこいし人の言葉も理解しています。
そんな訳で頂いたのは今回の御朱印。猫と狐の御朱印がぴったりです。
六本木の都会に鎮座する小さな神社ながら古き良き鎮守としての姿が維持されていて、知る人ぞ知る都会のオアシスとして親しまれています。場所を忘れるような静かな空間です。
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久国神社の創建年代は不詳。古くは千代田村紅葉(今の皇居のあたり)と呼ばれた地に鎮座していたと伝わります。江戸城築城する以前より鎮座していたお稲荷様でした。
長禄元年(1457)、太田道灌が江戸城を築城。江戸城エリアにあった当社は遷座を余儀なくされます。
寛正六年(1465)、「城隍の鎮守」として溜池(現在より東側)に遷座。当時は御神木として榎の木があったそうです。
その後、太田道灌によって刀工・粟田口久国作の刀が奉納。これが久国神社の社号由来です。
粟田口久国(あわたぐちひさくに)は鎌倉時代の刀工。
粟田口派の祖を父に持つ刀工一家の次男で兄弟を総称して「粟田口六兄弟」と呼び、特に末弟である国綱は天下五剣の一つに数えられる鬼丸国綱(おにまるくにつな)の作者として知られます。
天保元年(1830)に成立した刀剣解説書『懐宝剣尺』では、久国の刀は「古刀最上作」に列していて古くから非常に稀少な刀でした。久国の刀は、1口が国宝、3口が重要文化財に指定されています。
※当社の社宝となっている久国作の刀は非公開ながら現存しています。
太田道灌が当社に久国作の刀を奉納した当時からも大変に稀少な刀だったようです。そうした稀少な刀を道灌が当社に寄進した事からも、当社を「城隍の鎮守」として篤く崇敬した事が窺えます。
寛保元年(1741)、現在地に遷座。谷町(麻布谷町)と箪笥町(麻布箪笥町)の鎮守として崇敬を集めました。
なお、谷町は当時の麻布最北端の町、現在は首都高の谷町ジャンクションとして名が残ります。箪笥町は江戸初期に幕府の武具を掌った御箪笥奉行に由来します。
明治になり神仏分離。別当寺「林昌寺」の僧が復飾して当社の神職となり林昌寺は廃寺。
明治七年(1874)、近隣の火事により類焼。以後しばらく荒廃したものの再建。
昭和二年(1927)、社号を「稲荷神社」から「久國神社」へ改称。
昭和二十年(1945)の戦災で社殿を焼失。昭和二十八年(1953)に社殿が再建され復興を果たしました。
現在は港七福神めぐりの布袋尊を担っています。
ぜひ参拝してみてください。
#御朱印
乃木神社。港区赤坂。
夫婦和合の神様。乃木大将夫妻を祀る神社。
10月中に授与の「月替わり御朱印」を頂きました。今年の月替わり御朱印は全て干支の馬がデザインされています。この馬は乃木将軍の愛馬・壽号(すごう)。日本の四季を旅するデザインとなっています。
今年は午年。乃木神社は馬と大変ゆかりのある神社です。御朱印にもデザインされている通りで、御祭神の乃木将軍が大変馬を大切にした人物として知られます。
特に日露戦争でロシアのステッセル将軍から贈られた白馬「壽号(すごう)」とその仔「璞号(あらたまごう)」が有名です。
当社に隣接する旧乃木邸には煉瓦造りの立派な馬小屋が今も残されていて馬を大切にした乃木将軍の姿を今に伝えています。ぜひ旧乃木邸にも足を運んでみてください。
今では乃木坂46ファンの聖地にもなっているので絵馬にはチケット当選祈願なども多いです。
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乃木将軍・乃木大将とも称される御祭神の乃木希典(のぎまれすけ)は日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、水師営の会見をはじめとする多々の徳行・高潔な振舞いにより国際的にも名が知れた陸軍軍人です。
また学習院長に任命されて昭和天皇の教育係も務め質実剛健の教えを徹底したといいます。昭和天皇は後に「自身の人格形成に最も影響があった人物」として乃木の名を挙げる程でした。
彼の最期は明治天皇の後を慕って殉死したことで知られます。明治天皇の大葬が行わた当日、静子夫人と共に自刃して亡くなりました。
※余談ですが夏目漱石の名作『こゝろ』は漱石が乃木希典の殉死に影響を受け執筆した作品として知られます。
大正元年(1912)9月18日、乃木夫妻の葬儀が行われると、葬儀には十数万の国民が自発的に参列しその様子から「国民葬」「世界葬」とも表現されました。
大正二年(1913)、当時の東京市長だった阪谷芳郎が中心となって乃木希典を敬慕する人々による「中央乃木會」を設立。乃木邸内の小社に乃木夫妻の御霊をお祀りしました。
大正八年(1919)、「乃木神社」創建の許可が下ります。大正九年(1920)には明治天皇を祀る「明治神宮」が創建。
既に創建の許可は下りていましたが、当社は乃木が慕った明治天皇を祀る明治神宮が創建した後に造営が行われました。
大正十二年(1923)、鎮座祭が行われ当社が創建。乃木夫妻が自刃・殉死した邸宅の隣地に創建されたのが乃木神社です。
今も旧乃木邸として自刃した邸宅も残ります。(邸宅の建物内は平時は入れませんがたまに一般公開されています)その敷地内に煉瓦造りの馬小屋があります。また境内には宝物殿があり乃木大将にまつわる品や資料を無料で色々と見る事ができます。
昭和二十年(1945)、戦火によって社殿など境内を悉く焼失。昭和三十七年(1962)、社殿が再建され復興を果たしました。
現在は特に夫婦和合の神様として信仰を集めている当社。神前結婚式も人気で授与品として「つれそひ守」「よりそひ守」は特に人気。
つれそひ守は、結婚より年月を積み重ねられた2人にこれからも長く「つれそって」いけますようにと願いを込めた御守。
よりそひ守は、新郎の紋服、新婦の白無垢をあしらい、夫婦となる2人が末永くよりそって頂くようにと願いを込めた御守。
結婚式や記念日など夫婦に向けての御守で、贈り物としても人気が高いです。
今ではアイドルグループ乃木坂46のおかげで全国区になった「乃木坂」の由来も乃木大将によるものです。大正元年(1912)に乃木の殉死を悼み赤坂区議会が坂の改名を議決。かつて「幽霊坂」と呼ばれていた坂の名を「乃木坂」としました。
今では乃木坂46ファンの聖地としても人気に。(乃木坂46は最終オーディション会場として使用された「SME乃木坂ビル」が由来だそうです)毎年成人になるメンバーは当社で成人式も行っていて絵馬など奉納されるのが恒例です。
馬とゆかりのある当社。ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印
櫻田神社(桜田神社)。港区西麻布。
麻布桜田町(現・西麻布)の鎮守。新選組の沖田総司がお宮参りした沖田総司ゆかりの神社。
西麻布三丁目の再開発に伴う工事が約3年近く続いていましたが、新社殿が竣工して参拝できるようになっています。(詳細は後述)
4月25日より数量限定で授与している「JR東海コラボ新選組とドクターイエロー御朱印」を頂きました。(JR東海EXサイトより事前予約必須)
新選組隊士と新幹線ドクターイエローのコラボ御朱印です。JR東海EXサイトより事前予約が必須になります。当日予約可。
→JR東海EXサイトより予約
→櫻田神社の授与所でQRコードを読み込み御朱印を頂く
といった流れになります。
予約なしで授与はしていませんので必ずJR東海EXサイトより予約して下さい。当日予約OKです。授与時間は10時-15時45分まで。神社に到着してからでも時間内に予約操作できるならOKです。
事前予約サイトはツリーに貼っておきます。
御朱印は他に通常御朱印、月替わり御朱印、干支御朱印の用意があります。(これらは予約いりません)
更に新選組デザインと桜デザインのオリジナル御朱印帳も。以前は正月期間限定での頒布でしたが現在は通年頒布しているようです。新選組デザインの絵馬や願守も増えていました。
ぜひ頂いてみて下さい。
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西麻布三丁目の再開発の一環で2023年秋頃より工事が始まっていた櫻田神社。近くに仮社殿を設ける形で旧社殿などは完全に解体され、長い間工事が続いていたのですが、今年の8月21日に新社殿が完成して遷座となりました。
いつ工事が終わるのかな、なんてたまに前を通って確認していたのですが、先日夜に通ったらもう参拝できるようになっていた事に気付き、改めてゆっくり参拝。
一新という言葉がぴったりなくらい真新しくなりました。とは言え江戸時代の石造物(水盤や狛犬)、天水桶などは残してあります。色々と思い出もある神社なので感慨深い。
再開発は櫻田神社のある区画だけ先行して進められていたので、周辺のエリアは2029年末頃まで工事が続きます。地上54階建ての複合タワーが建つそうで風景もガラッと変わりそうです。街開きは2030年頃でしょうか。まだまだ先ですが楽しみですね。
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櫻田神社は治承四年(1180)に創建と伝わるお稲荷様です。源頼朝の命で武州豊島郡の領主であった渋谷重国によって建立されたと伝わります。
創建には白い狐の伝説が伝わっています。
渋谷重国が霞ヶ関の山を焼いて狩りをしようとすると白い狐が出現。白い狐が天に向かって気を吐いたところ、十一面観音が現れた。重国は驚き源頼朝に乞うて社を創建した。
創建の地は霞山と呼ばれた地であったため、「霞山稲荷大明神」と称されました。当時は現在の霞ヶ関桜田門外に鎮座していたようです。
文治五年(1189)、源頼朝が奥州征伐の際に30貫の田地(神領)を寄進。
頼朝による寄進によって、一般農家の田と御神田を区別する必要があったため、御神田の畔ごとに桜の木を植えました。この事からこの御神田を人々は「桜田」と唱えるように。更に当社の付近も桜田郷、桜田村と称するように。
この事から当社は「霞山桜田明神」とも称されました。
※桜田の地名由来は諸説あるのでこちらは1つの説です。
文明年間(1469年-1486年)には江戸城を築城した太田道灌が社殿を改修し当社を再興。道灌は当社に太刀甲胃等を寄進し、それらは長く当社の社宝として伝えられていました。(江戸後期の青山火事で焼失)
天正十八年(1590)に徳川家康が江戸入りすると、江戸城から近い霞ヶ関周辺には諸大名屋敷が連なるように。寛永元年(1624)に現在地へ遷座を余儀なくされます。氏子も共に移り当地は麻布桜田町と呼ばれるようになりました。
幕末には新選組の一番隊組長として有名な沖田総司が初宮参り(お宮参り)に参詣。この事から沖田総司ゆかりの神社、沖田総司の産土神と言う事ができます。
沖田総司は陸奥国白河藩藩士・沖田勝次郎の子として、江戸の陸奥国白河藩下屋敷で誕生。
当時の陸奥国白河藩の藩主は阿部家。当社のほぼ隣に陸奥国白河藩下屋敷が置かれていました。生まれた屋敷のお隣の神社だった訳ですね。
※ちなみに沖田総司の墓所がある「専称寺」(元麻布3丁目)も当社からほど近い場所にあります。
さらに乃木希典(乃木大将)も同じく初宮参りに参詣しています。乃木大将の着用した産着は当社に寄進されましたが、現在は「乃木神社」に譲渡され社宝となっているようです。
明治になり神仏分離。明治二十八年(1895)に「霞山稲荷」から「櫻田神社」に改称。
昭和二十年(1945)の戦災で社殿など境内の殆どが焼失。昭和二十六年(1951)に社殿を再建。
そして上述した西麻布三丁目再開発によって令和八年(2026) に社殿や境内が一新され現在に至ります。
ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印
松陰神社。世田谷区若林。
吉田松陰先生を祀る神社。
本日10月27日は秋季例大祭。10月27日は松陰先生の御命日です。神社に隣接する墓地にも手を合わせに。
10月27日から11月3日まで限定授与の「秋季例大祭御朱印」を頂きました。(10月29日は休務日です)見開きサイズで初穂料500円。
今年の御朱印には松陰先生の言葉で「人賢愚ありといえども、各々一、二の才能なきはなし」の一文。
こちらもう少し長い文を書きますと「人賢愚ありと雖も、各々一二の才能なきはなし、湊合して大成する時は必ず全備する所あらん」です。
現代語にしますと「人間には賢い者や愚かな者といった差があるが、誰であっても1つや2つの優れた才能がないわけではない。それらを持ち寄って大きなことを成し遂げるときには、必ず万端そろった完全な状態になるだろう」という意味。
これは安政二年(1855)に野山獄での獄中教育の経験から書かれた著書『福堂策(ふくどうさく) 上』に記された言葉です。
本日は秋季例大祭でしたので松下村塾レプリカも開いていて花展も開催されていました。
10月25日は松陰神社参道商店街で「若林幕末祭り(第壱回)」が開催されました。これは元々「秋まつり」として開催していたものを幕末祭りに今年からリニューアル。神輿渡御、松陰神社境内ガイドツアー、奇兵隊と維新の志士の扮装パレード、幕末グッズの販売などなど楽しいお祭りだったようです。(一昨年参加しましたが楽しかったです)
松陰先生は様々な漫画やアニメ、ゲームのキャラにもなっていたりするからか、この日もぬいぐるみやアクスタを持って推し活する方もチラホラ。
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ちなみに松陰神社は東京の世田谷の他にも、長州藩である山口県萩市にもあります。
そんな萩の松陰神社では10月1日-12月末まで「銀魂コラボ御朱印」を授与しているとか。萩市が「銀魂暦」として大々的にコラボをやっているようでその一環。
もし機会があれば萩にも訪れてみて下さい。自分は難しいので行ける方が羨ましいです。
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松陰神社の御祭神は吉田松陰先生。幕末の思想家・教育者で長州藩士。私塾「松下村塾」を指導し松陰の門人達は明治維新の際に活躍したことで知られます。明治維新、特に長州藩の精神的指導者・理論者でした。安政の大獄によって処刑、享年30(満29歳)。
境内に隣接するように吉田松陰先生の墓所があります。高杉晋作など吉田松陰の門人によって小塚原回向院にあった松陰の墓が当地(長州藩の抱屋敷があった地)に改葬されました。明治になり墓所は木戸孝允(桂小五郎)によって修復。墓所前の鳥居は当時のものです。手を合わせてみてください。
そんな墓所の隣に松陰先生の門人などによって明治十五年(1882)に松陰先生を祀り創建したのが松陰神社です。
明治四十一年(1908)には木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、乃木希典らによって松陰50年祭が行われました。この時の石灯籠などが境内に残ります。
昭和十七年(1942)には「松下村塾」のレプリカが建てられました。今も社殿右手にある松下村塾レプリカがそれです。平日は雨戸が閉じていますが、土日祝は雨戸を開けていて中を見る事ができます。
ちなみに上述したように松陰先生縁の地である山口県萩市にも「松陰神社」があります。こちらの境内ある松下村塾が幕末当時の塾舎が現存する本物です。
共に「松陰神社」がある事から平成八年(1996)に世田谷区と萩市は友好都市提携となっています。こうした繋がりや交流も素敵です。
近年は学問の神としても崇敬を集めている松陰神社。松陰神社参道商店街には美味しい名店もたくさんで楽しめます。ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印 #限定御朱印
松陰神社。世田谷区若林。
吉田松陰先生を祀る神社。
本日10月27日は秋季例大祭。10月27日は松陰先生の御命日です。今年も神社に隣接する墓地にも手を合わせに。
本日から11月3日まで限定で「秋季例大祭御朱印」も授与しています。(10月29日は休務日のため御朱印は頂けません)
※神社の詳細は夜に改めて。
白金氷川神社。港区白金。
白金一帯の総鎮守。猫神社。
本日10月24日から頒布開始の「猫御朱印帳」「プラチナ御朱印帳」を頂きました。それぞれ先頭ページに御朱印帳専用の限定御朱印付きで初穂料2,500円。
猫御朱印帳は以前頒布していた事がある御朱印帳の色違い復刻版です。猫神社らしいとても可愛らしいデザイン。可愛い猫ちゃんの限定御朱印付き。
(猫御朱印帳は紫陽花柄のもあります。こちらは在庫限りで終了です。)
プラチナ御朱印帳は以前から青色が出ていましたが今回は新色のえんじ色。社殿が社紋、ロゴなどがキラキラ。さらに紙の上下も銀色になっているのでぜひ実物を確認してみて下さい。白金の地名からくるプラチナ豪華仕様です。鳳凰の限定御朱印付き。(鳳凰の御朱印は猫ちゃんの限定御朱印に変更も可能との事です)
(プラチナ御朱印帳は青色もまだ少量あります。こちらは在庫限りで終了です。)
別postで投稿した通り10月24日から「季節の書置き特別御朱印(秋)」、10月17日-31日まで帳面に頂ける「ハロウィン特別御朱印」も授与しています🎃お好きな御朱印を頂いてみて下さい。
猫御朱印帳からも分かるように猫ちゃんに遭遇する事が大変多い猫神社。白金の地名からプラチナキャットとして親しまれています。
ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印 #限定御朱印
白金氷川神社で本日10月24日より新しい「書き置き御朱印」と御朱印帳2種類が頒布開始してます。
御朱印帳は以前より頒布していたものの色違い版。先頭ページに特別御朱印付き。
引き続き10月31日まで「ハロウィン御朱印」も帳面に頂けます🎃
今日も猫ちゃん可愛い🐈
※詳細は夜に改めて。
#御朱印
御朱印・神社メモ retweeted
御縁年午歳の例祭に 穴守大神様との御神縁を 煌めく金の一筆に込めて
▶︎11/3(火・祝)当日のみ 正午~17時
▶︎直書・書置共に頒布
▶︎初穂料:通常通り
※正午以降の本社御朱印は全て金墨です
※奥之宮は通常通り 稲荷山には御縁年午歳印を添えてお頒ちします
⛩️特別な御縁日に、特別な御神縁を⛩️































































