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私は、子宮移植や代理出産を無条件に認めるべきだと考えているわけではありません
医学的なリスク、ドナーの自由意思、搾取の可能性。検討すべき問題は数多くあります
それでも私が選択可能化に賛成するのは、当事者が自分の人生について、できる限り多くの選択肢を持てる社会であってほしいからです
そういや昔、めちゃくちゃ下手な時にフロントラインで軍師に全員集合と言われて行った地点が谷の上で「なんや?」と思ってたら、「BL用意」って言われて「??」って思ってたら崖の下を敵プレイヤーが!
ってことがあったのをふと思い出した
あんな痺れたのはあとにも先にもあれだけだったな
#FF14
“But I give a promise to those people who are opposed to this bill right now. I give you a watertight guaranteed promise.
The sun will still rise tomorrow. Your teenage daughter will still argue back to you as if she knows everything.
子宮移植をめぐる議論で、私がなかなか反対派に転じないのは、反対意見を受け入れる気がないからではありません。
むしろ、納得できる論拠が示されれば、自分の考えを変えることに抵抗はありません。
ただ、これまで目にした反対意見の多くには、決定的に欠けているものがあると感じています。
別の可能性を提示すると、「私の意見は変わりません」と返されることがあります。
しかし、私は意見を変えてほしいのではありません。
提示された可能性を検討したうえで、なお反対する理由を聞きたいのです。
結論を変えないことと、結論に至る前提を検討しないことは、まったく違います。
子宮移植に反対することで、いったい誰が救われるのか一度考えてみて欲しい。
健康なドナーを手術の危険から守ることはできるかもしれない。
しかし、そのドナー自身が危険を理解したうえで、娘に子宮を提供したいと心から望んでいたとしたら、どうだろう。
一方で、子宮移植が認められなければ、先天的に子宮を持たず、妊娠・出産を望む女性は、その可能性を失う。
反対することで守られる人がいるかもしれない。しかし、その反対によって希望を失う人もいる。
この非対称性を、私たちはどこまで考えているのだろう。
