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「視座は高いほうが良い」と思い込む残念な経営者を救いたい|Kato @_S_Kato note.com/kato_jp/n/neff729a8…
AIによるコストカットは前提として、自分は本丸を別のところに見ています。それが感性×AIの領域。
センスにAIレバをかけての換金が可能となったこのタイミングで、ハイレベルなチームとご一緒できることにわくわくしています。
Web系で勝ち確な市場、まだまだ探せば残ってる。
弊社ディレクターチームでその市場に殴り込みます。
YouTube経験者は動画市場で鍛えたデザイン、時間感覚、コピーライティングの地肩がある。私がAI業務効率化の最先端と信頼している@_S_Kato 氏の全面協力で隣接市場を塗り替える計画。
AI時代において、「求められるリーダーシップの抽象度が上がった」ということなんですよね。
旧来のリーダーシップは一定の一貫性が重要でした。
事業Aで勝っていくと決めたら、そのために一貫して旗振りをし続ける。
管理職サイドも、その一貫性と、もたらす成果が評価され、部下サイドもそれに従い続ける性能が評価された。
今、経営者は旧来のリーダーシップ観から、抽象度を上げる必要がある。
事業Aを一貫して攻めていく必然性は下がっており、スピード感と柔軟性を持って新たな事業に攻め入ることを旗振りする必要がある。
これは必然的に組織における評価制度、組織構造自体の変革が必要ということを意味しており、常にセットで行われなければ機能しない。
AI導入が成果に繋がっていない会社では、この観点がすっぽり抜け落ちているわけ。
将来的には書かれている通りですが、実は現時点でさえ「人間による承認」が必要と思っている領域の摩擦によって、多くの既存の事業体が形を保っているような状況です。
人間であることの意味、を人間が感じる領域。摩擦が大きい領域は変化が遅い。事業家としてはここが一つの狙い目ですね。
欧州で大真面目にAI/機械学習を研究してきました。今後のビジネスへのインプリケーションは以下の通りです。
-AIで革新的なビジネスなど生まれない。ただし既存のビジネス・プロセスの大半は置き換わるのでスキルや知識で食っている人間ほど今後苦境に至る可能性が高い。
-革新的なビジネスが生まれないというのは、結局ガワの部分はいくらでも複製できるから。だからセカンドペンギンが大量生産されるので一気に陳腐化する。最後は資本力があるところが持っていく。
-ただしラストワンマイルはAIで代替できないのでそこを手作業でできる企業は生き残るしバリューが生まれる。
-AI開発企業にバリューがあるかどうかは疑問(アンソロピックとかOpenAIとか)。今の時点でもオープンソースAIで事足りる場面が多くなってきた。
-AI開発企業よりツルハシ企業(メモリ・GPU・電力企業)の方が価値が高くなる局面は今後も継続する。これはAIがオープンソース化していく一方でそれを計算するハードサイドへの需要は無くならないため。工場建設の再構築コストや構築時間から引き続きツルハシ企業の優位性はある。
-お局的な業務独占で飯を食っている人間ほど業務もオープンソース化して死んでいく。そういう業務はオープンにさせられてAIに代替されるか、業務自体がなくなる。
-人間が出来る領域がどんどん狭まっていて、人間にしかできない業務は残る、というのは非常に懐疑的。そういう業務でも最後人間が承認さえすれば良い、という形になる可能性の方が高い。士業などの国家的に認められた専門職であっても、AIの最終判断をする人間さえ残れば業務が滞りなく回る可能性は高い。営業は人間が行う、という言説もあるが、営業されるサイドの判断をAIが行うようになれば人間の営業自体不要になる。
AIエージェント駆動型の事業運営が当たり前になったことで「もはや人間がボトルネックです!」といった自嘲的な投稿を見かけるようになりました。
何か違和感があるなと思ったのですが、これ、経営者にとっては当たり前のことだな、と。
つまり、本来は常に意思決定者がボトルネックであり続けるべきで、それは経営も同じ。
もしそうなっていないのであれば、ヒトモノカネ情報、リソースを活用しきれていないということを意味します。
一人社長、フリーランスあがりの事業者ですと自分自身のリソースと会社としてのリソースとがごっちゃになりがちで、仕方がない側面もあるとは思いますが、本来は自分の工数部分をメタで捉えて采配することが経営者としての役割、ということは頭に置いて置くべきです。
この辺りに、AI駆動で本質的に経営の構造が変わったわけではない、ということを理解できるヒントがあります。
つまり、AIというのはあくまで特定業務のショートカットツールであり、それを用いることができる前提で組織構造や事業戦略を組みなおすだけのことであり、
これ自体は今までの「経営」というものと何ら変わりない。
ただ、ここまで大規模に混乱が生じていたり、的外れな期待感を経営者サイドが持っていたりする(すみません、でも事実です)のは、ここまでの流れ、慣性で事業を行ってきただけ、の事業者が大半であり、本当の意味で「経営」を行っていたわけではないということを意味する。
これがAIの普及によって明らかになってきたということなんですね。
だから結局、AI時代だろうがなんだろうが、シンプルに「経営」そのものをやりきる、というのが結論ですね。(何の面白みも無いですが。)
そう、SNSのタイムラインが各々に最適化されたのと同じように、今後はあらゆるUIが各々に最適化されていくんですよね。
事業としてのエッヂは、独自のナレッジやデータ。もっと言えばデータ化が遅れている感性的な領域だけに残っていく。
これ批判とかじゃなくて、アプリって今後構造的にゴミ化すると思ってる。批判じゃなくて構造の話。
何でかっていうと、アプリの価値の源泉って、突き詰めるとUIの最適化だから。
でもその最適化ってユーザーには刺さらない。「その情報を提供する側にとって最適化されたUI」と「ユーザーにとって最適なUI」は別物。アプリって前者で、ユーザーが本当に欲しいのは後者。
天気専用アプリ、魚図鑑アプリ、乗換アプリ。提供側からすればアプリ化する価値はある。ホーム画面を取れる、通知を送れる、囲い込める。
でもユーザー側にその価値はない。最適化されたWebサイトで足りる。スマホのどこ行ったか分からんアプリより、ヤフー検索のカテゴリから飛ぶ方が早い。アプリごとにUIが違うのもだるい。つまり「提供側に囲い込みの価値があるだけで、ユーザーには本質的な価値がない」。これがずっと続いてる。
で、ここからの時代。何をするにもAIエージェントという一つのプラットフォームが情報とツールにアクセスする世界になる(はず)
天気を知りたい。ポイント残高を知りたい。この電車どう乗るか知りたい。全部エージェントに投げればエージェントが情報元に取りに行って、最適な答えをエージェントのUI上に返す。
これが効くのは、さっきのズレを一発で解消するから。提供側に最適化されたUI(=アプリ)をユーザーが我慢して使う必要がなくなる。
ユーザーにとって最適なUIはもう一個(エージェント)に集約される。情報元はバックエンドとして呼ばれるだけになり、自前のUIを持つ意味が消える。
つまりアプリの介在する余地がない。この流れが進むほど、アプリの価値は毀損されていく。
と思ってるけどどうなんだろう。
「視座のギャップ」という言葉で「上下の隙間」について書いた記事です。
note.com/kato_jp/n/neff729a8…
「うちの社長、優しいよね」
とスタッフに言われて喜んでいる社長、ぶっちゃけ終わっています。
部下が言う「優しい」は、「何も言ってこない」の言い換え。
つまり・・・「楽な上司」ということ。
・遅刻をしてもスルー
・ミスをしてもスルー
・雑な資料を出しても「ありがとう」と言い、社長自身が手直ししているようなありさま
社長は「信頼関係を築いてる」と思ってるかもですが、スタッフは「この人、何言っても大丈夫だな」と思ってます。
「この組織、サボリ放題だな」と思っています。
このズレが組織を破壊します。
赤字垂れ流し状態へ、一直線のルートです。
優しさで組織は回りません。
では、組織を回すのは?
「強い方向性」です。
”厳しくしろ”という話ではありません。
「方向」を「指し示す」のです。
・この組織はどこを目指すのか?
・そのためには何をしてはならないのか?
明確にしてください。
サボり放題の組織から生まれ変わってください。

















